2018.7.1
   敗北と形見と女々しい肉まん

 流し台の下。小ぶりのボウルやステンレスのざるにまじって母の残した料理道具が重ね置いてある。
 料理好きで、いつも旨いものを食わせてくれた義母の形見たちである。
 結婚する前も、家庭を持ってからも酒の肴を作る環境にいなかったらしい義母は、いきなり現れた愚息の、毎日の晩酌の肴に苦慮していたようだった。
「どんなおツマミが好きなん?茄子の辛子和え作ってみたけど、もっと辛いほうがいいかなあ?わたしわからんよ」
 義母は、当時居酒屋をやっていた彼女の友人から酒の肴レシピを聞き出しては、ままごとのような小鉢をお膳に並べ、しばらくボクの晩酌風景を遠まわしに眺めているのだった。
 そんな彼女が料理道具をボクに残して亡くなった。もう何年も前の話だ。

 地袋の扉の裏に七丁の庖丁が掛けられている。ステンレスの万能庖丁が三丁、ぺティーナイフとチーズナイフが一丁ずつ、それと、刺身と出刃の二丁。菜切庖丁もあるにはあったが、どこへ紛れ込んでいるのか今は分からない。そのうちの刺身庖丁と出刃庖丁、それに、地袋の奥に仕舞い込まれたままの大きな蒸し器とネジ式の漬物漬け器となにに使うのかかわらない料理道具が義母の形見となった。

 先日、ある設計コンペでみごとに敗北した。
 自分ではそれなりの自信もあったし、二度にわたるクライアントとの打ち合わせも、ごく自然に投合し、ハイテンションのうちにプレゼンできたと思う。事務所の打合せ室は終始笑い声に揺れていた。プラン中も模型製作中も楽しくて、ボクの頭の中だけの建物は時間を追う毎に変化し、結実し、昇華していった。
「きっといい建築ができる」
 自信が確信に変わるのもそれ程の時間を必要としなかった。もちろん最終的には人様が決裁すること。決断をクライアントの胸ひとつに委ねている身としては、出された結果を真摯に受け止めるほかない。当然のことだ。しかし、正直言って、プレゼンから結果が出るまでの一箇月間は、ずっと気持ちの何処か片隅で、小さな熾き火がチリチリチリチリと燻り続けるような中途半端な日々を過していた。
 結果を知らされた時、なんだ、片想いの一人よがりだったのかと自嘲ぎみにならなくてすんだのは、すでにディテールまで考え抜かれていた案が実現できない喪失感よりも、これでもうビクビクしなくてもいいのだという安堵の方を先に感じたからだろう。クライアントが答を出せないでいたのは、他の各々のプランが高い水準で拮抗していたからだと信じたい。すべてが甲乙つけがたいクオリティであったと。だからこそ悩みに悩み抜いた一箇月だったのだと。
 苦渋の決断を伝える役目を背負った担当者も、けっして楽しい思いでぼくに連絡してきたわけではなかったはずだ。受話器の向こうの、押し絞ったような声には、わずかに苦い味の空気が絡み付いているようだった。彼は彼なりに、中立の立場に立って、精一杯の平常を装っていたのかもしれない。もの言えば、薄っぺらい慰めになりそうな言葉だけは吐くまいとしているのか、言い澱んだかすかな沈黙に、彼の気持ちが凝縮していた。そんな気遣いが、ぼくには痛かった。

 勝ち負けに拘泥していたわけではないが、コンペ落選を知った夜、ジクジクと女々しく考えてしまいそうな自分が嫌で、流し台の扉を開けた。そこには、錆びるに任せた義母の二丁の庖丁が並んでいた。もちろん出刃で自刃だなんて洒落にもならないことを考えたわけではなく、「肉まんでも作ってみっか」と脈絡もなく思い立ったからだった。
 作るものはなんでもよかった。と言うより、本当はその場に立ち止まっていることに堪えられなくなったのだと思う。ぼんやりテレビを観ているはずの自分の目が、何時間も前から画面の動きを捉えていないことに気づいたからでもある。これ以上、自分の気持ちにモヤモヤしたものを持ち込みたくはなかった。薄羽蜉蝣(うすばかげろう)の儚い羽ばたきのような、或いは薄曇りの中の、境界が曖昧な自分の影を見つめるような、もしくは、薄氷の危うさに戸惑うつま先のような、とりとめもなくどうしようもない心の落とし処を無理矢理見つけたような、そんな思い立ちだった。

 荒研ぎと仕上研ぎ、二種類の砥石をしばらく水に浸し、刃を研ぐところから始まってようやくできあがった肉まんは、ケチって買ったボロ肉を使ったからなのか、ベーキングパウダーの分量を間違えたのか、はたまた、己の預かり知らぬ胸の奥底で、メメしさをまだ引きずっていたからなのか定かではないが、結局、イメージしていたようなものにはならなかった。気持ちのどこかでなんとなく釈然としないまま、回転しきれていない頭で作りあげた肉まんは笑ってしまうほど不味かった。結局、具材と調味料を加えるだけのレシピに、庖丁を研ぐほどのこともなかったんだなと後で気づいたのには、我ながら呆れてしまった。それがかえってぐずついた気持ちに区切りをつけてくれたのかもしれない。
「もういいよ。それにしても、なんだか疲れたね、お互い」
 そう、ぺしゃんこにつぶれた肉まんから慰められたような気がした。
 今夜だけは女々しくていい。設計家として誠実な直球をきっちり投げたつもりだ。恥ずかしい勝負はしていない。もてる力は出せた。悔しくてたまらなかったけれど、後悔はしていない。今は清々しい気持ちでいる。負け惜しみではなく。
 そう、明日からまた「料理と設計はセンスだよ」と笑いながら吹けばいい。
 そしてこれからは、義母から受け継いだ形見たちを、もうぼくの私物として思う存分使わせてもらえばいいのだろう。

「ひろくん、やっぱりちょっと辛すぎたやろうかねぇ?」
 茄子の辛子和えを前に、あの日の困りはてた義母の顔が、蒸し器から立ち上がる湯気の向こうに蘇えった。
「おかあさん、ぼくね、辛すぎて泪が出そうやわ。でもね、ぼくにはこれくらいの辛さがちょうどいいんやと思うんよ」
 不味い肉まんを頬張ったまま、ふっ切れた気持ちを天国の義母に返した。
 台所から見える別府湾のさざ波に、ようやく春の風を聴いたような気がした。

  (了)

2018.6.1
    いずれ、春永に

 五月も半ばを過ぎると、勢い始めた枝々にも鳥たちが集うようになり、拙(つたな)かった幼鳥のさえずりも大人びた鳴声に変わって、緑を濃くした葉々の隙間から聞こえてくるようになった。
 そんな鮮やかな緑に埋もれたこの心療所も、ようやく温もり始めた春の陽光に暖められて、朝の病棟は必要以上の明るさと、悲しい静寂の中に佇んでいる。
 自我の存在など端(はな)から存在しない流れ作業と、人生の尺を切り売りするような時間とノルマと、同僚の口さがない噂話、それに上司からの謂われのない叱責に心を病んだ末に、ぼくはその病棟で暮らすようになった。
 県内でも最新医療を受けられる大きな総合病院の第六病棟心療所。そこが、当時崖っぷちに立ちすくんで、死ぬことを厭(いと)わず、それでも身じろぎひとつできなかったぼくに、とりあえず生き続けることを教えてくれた場所。壊れてしまったぼくを、ただひとつ受け入れてくれた場所だった。
 入院当初は、季節の移ろいになど気にも留めなかった。それはそうだろう。今では笑い話になるけれど、息ひとつするのさえ億劫だったぼくだったのだから。
 不定期ではあったが、見舞いに来てくれていた妻も、あれほど父さんっ子だった息子も誰も、ひと月が過ぎ、半年を迎えるころには、もうなにもかもすべてなかった、とでも言うように、誰ひとりとしてぼくの病室を訪れることはなくなっていた。
 二十数年も連れ添った妻でさえ足を遠ざけてしまうほど、そのころのぼくは壊れていた、ということなのだろう。なにかにつけ気配を探り合うような三人部屋から、たった一歩を踏み出すのに一年もの時間を必要としたのは、つまりそういうことだ。当たり前のように身近にあった『倖せ』という言葉から遠く隔たれた部屋の片隅で、ぼくは長い間、ほんとうに長い間壊れ続けていたのだった。

 上空では風が舞っているのだろう。カラスだかトビだかの鳥影が羽ばたきもせず流されもせず、微妙なバランスを保ちながら一点に留まって浮いている。
 心子(もとこ)さんはいつものように、窓を南東に大きく切り取った談話室の隅の椅子に腰かけていた。そこは、直接射し込む春陽からわずかに避けられ、自販機のコンプレッサー音からも、朝食後に集まってくる話し好きな患者たちの丸テーブルからも少し離れた一角で、起きているのか眠っているのか、心子さんは日がな一日、時には膝に読みかけの本や雑誌を、時には角のすり減ったアルバムを大事そうに抱えて目を閉じている。
「ああ、笠ちゃんかい。おはよう」
 何年か前に八十歳をとっくに過ぎたという心子さんの声は春陽のようにやわらかい。隣の椅子を皺だらけの手でトントンと叩き、心子さんはぼくを見上げて今日も笑ってくれた。
「いい天気ですねぇ」の、次の言葉が出てこないままぼくは、心子さんと並んで座り、真っ青な空に浮かんだ鳥影を手をかざしてみつめる。心子さんはといえば、僕の視線を頼りない視線で辿りながら顔を上空に向けるけれど、その眼は今日もやはりなにも捉えてはいない。そのまま暫(しばら)くしたあと、心子さんは悲しい目をぼくにもどして「あんた、大丈夫やったんね?」と呟くのが、最近の心子さんとぼくの朝の挨拶だ。
 三人部屋から出られるようになって二日ほど経った昼過ぎだったか。心子さんの指定席だとは知らずにこの椅子に腰かけ、外を見るともなくぼぅっとしていたぼくに「あんた、大丈夫やったんね?」と声をかけてくれたのが心子さんだった。この心療所に入って医師と看護師以外で初めて言葉を交わしたのが心子さんだ。それ以来心子さんはぼくのことを苗字の笠井の笠をとって「笠(りゅう)ちゃん」と呼んでいる。たまに「雅之かい?」と、息子さんと間違えてしまうけれど、そんなときは「うん、どした母さん」などと応えるようにしている。心子さんはそれだけで安心するのか、「そうかいそうかい元気が一番やねぇ笠ちゃん」とすぐに正気にもどって、なにもなかったように顔中皺くちゃにして笑いかけてくれるのだ。ぼくはそれでいいんだろうと思っている。それが罪になるのかどうなのかはぼくにはだわからない。けれど、人を貶(おとし)める嘘でも傷つける嘘でもない、やわらかい嘘なら、ぼくは今いくらでもつける。そう思えるほどぼくは快復に向かっているのだろう。これも心子さんのお陰にほかならない。
 看護師さんから聞いた話では、ひとり息子だった雅之さんは中学生のときに水難事故で亡くなったらしい。
 心子さんの病衣の胸には『増本諒子』と書かれた名札が縫いつけられている。それが心子さんの本当の名前なのだが、心子さんは自分を『柏木心子』だと信じているのだそうだ。少しややこしいけれど、ほんとうの柏木心子さんは増本諒子さんの女学校時代の無二の親友だった人で、空襲のときに、今心子さんと思い込んでいる増本諒子さんを庇って亡くなったらしい。自分の身代わりになって亡くなった親友の身体の重みを救助されるまで感じ続けたのは、戦争を知らないぼくにはとうてい分かりようもないショックだったのだと思う。それ以来『増本諒子』だった心子さんの心はいつのまにか『柏木心子』と入れ替わってしまった。「自分のほうが死ねばよかった」心子さんはそう胸の中でずっと自分を責め続けていたのかもしれない。だから看護師さんも、医師さえも「諒子さん」ではなく「心子さん」とやさしく呼んでいるのだ。本人は胸の名札のことは借り物の病衣くらいに思っているのだろう。
 突然なにかのスイッチが入って、心子さんは今と昔、正気と狂気の間を行き来しながら生きてきた。それにくらべれば、ぼくの病気なんてなんでもないのかもしれない。

 妻から手紙が届いたのは、梅雨に入ったというのに、穏やかな陽気が続いた六月のはじめだった。
 恐れと諦めとで開けた封筒の中には、覚悟していた離婚届の代わりに、短いみじかい文章が書かれた一枚の便箋が差し込まれていた。
 <あなた、その後、元気ですか。あら、病院にいるあなたに元気ですかって変ですね。
  ずっとずっとお見舞いに行かなくてごめんなさい。怒ってた?いえ、あなたのことだから拗ねてたのかな。
  ほんとうにごめんなさい。実はお医者様から「ご主人のことは、しばらくほっといてはどうでしょう」って言われて、いい兆しがみえるまでお見舞いには行かないって同意書にサインしたの。
  わたしと真二がそちらに行くたびに、あなたはわたしたちに甘え、依存し、また自立心を放棄して治療の遅らせるおそれがある、っておしゃってた。だから、ほんとうに長い間行かなかった、行けなかった。ごめんね。
  でもね、このあいだ経過を伺いに療養所に行ったとき、看護師さんに連れられてこっそり第六病棟の談話室のあなたの様子を見に行ったの。あなたはわたしの知らないおばあさんの手をやさしく握ってなにかささやいていた。わたしが見たこともないやさしい笑顔で。正直、ちょっとやきもちを焼いたんだから。
  看護師さんがね「ご主人は心子おばあちゃんの息子さんになったり、昔話を聞いてあげたり、それはもう毎日忙しそうなんですよ。それにずいぶん柔和になった。それは奥さんにもわかりますよね」と、わたしの手をとって喜んでくれた。「もう大丈夫ですよ、ご主人」って。
  ずっとずっと我慢をしていた真二も「母さん、お父さんのところにいつになったら行けるの」って今からはしゃいでいます。
  あなた、もう一度の検査の後、来月には退院できるの、知らないでしょ。
  よかった。ほんとうによかった。わたし、ほんとうに待っているから。
  いずれ、春永に。>

 「いずれ春永(はるなが)に」は、三島由紀夫が女性読者向けに書いたエッセイ集の「手紙のおわり」の一文を拝借したのだろう。三島好きの彼女らしいおしゃれな一文だ。
 陽が長くなる春の、いずれ暇な時に、ゆっくりと。と捉えていいのかもしれない。

 いくつもの人生を包み込んできた心療所は、今日も薄明るい陽をあびてほの温かい。
 そんな心療所の人々は、誰もがみな癒せない傷を抱きかかえて生きているのは事実だ。ぼくもそうだったし、心子さんもおそらくずっとそうだろう。
 ぼくが退院した後、心子さんの横に座ってくれる人はあるだろうかと思うと心が痛む、と、そう思えるほどにぼくの心は快復に向かっているのだろう。それはたしかにうれしいことだけれど、自分だけがよくなって、と思うぼくもいて、だからこそ、心子さんのことが気にかかる。
 さまざまなものを喪ってしまってきたぼくだけれど、いつの日からか約束はできないけれど、心子さんの息子さんや、そのままのぼくとして、きっとまたこの心療所に、今度は見舞い客として来れたらいいのにと思っている。

   (了) 

2018.5.1
    春の味

 雨の降る日は天気が悪い、そう書いたのは誰だったのだろう。そんなどうでもいいようなことを考えながら、ずいぶんと古い記憶をたぐってみる。
 いつもなら駅ビル北口に出て、府内中央口広場のバスターミナルから自宅方面へ向かう市内循環に乗るのだが、そんな気になれなかったわたしは、すれ違うスーツ姿や、そこここで物憂げにたむろす人々の視線を疎ましく思いながら、人波のにおいを避けて歩き始めた。街は桜の花も散り、めずらしく晴天が続いて春も盛りだ。
 そうだ、誰かの随筆だった。
 歩むほどに記憶のあやふやさが確信に近づいたり遠ざかったりする。でも『雨の降る日は天気が悪い』なんて身も蓋もないことを書いた人のことがほんとうに知りたいことなのか、と問われれば、そうではないような気もする。たぶん、わたしに起こったどうしようもないことからとりあえず逃れるように、そんな詮無いことを考え始めただけのことだ。ああ、こんな自分がいやだ、と思いながらわたしは立ち止まることなくただ歩いた。
 当て所(あてど)ないつもりの足先が、わたしの意思とは無関係に飲み屋街を目指しているのは分かっている。自分の意思と足並みの齟齬(そご)などあろうはずもないのだから、意思とは無関係なはずはない。われながら可笑しいことしきりだ。
 なんの前振りもきっかけもなく、唐突にその名を思い出したのはフォーラスの解体現場を通り過ぎた辺りだった。
 晩翠だ、そうそう土井晩翠。
 はるか昔の詩人の名を思い出してみると、その一文が晩翠の随筆だってことはなんとなく知っていたような気がしてくるからくやしい。
 土井晩翠、「荒城の月」の作詞者。昭和九年に大雄閣 から刊行された「月刊誌『隨筆』紙上に寄稿した『雨の降る日は天氣が惡い』って随筆だ。
 行きつけのバーに向かいながら「雨の降る日は天気が悪いよなぁ」などと口に出してみる。晩翠も言っているとおり、その言葉になんの意味もない。ただそれだけのことだ。謎が解けてしまうと急に晩翠への興味が薄れて、もうどうでもよくなる。
 健一くんに言わせれば、そういう意味もないことをウジウジと考えているわたしの、そんなところが「好き」なのだそうだ。

 食べ物の味が変に感じるようになってすでに二週間が過ぎた。
 味覚の異常には最初にこそ焦ったが、それは日を置くごとに薄れていって、今では落ち着きも取り戻している。
「砂をかむような」なんて表現があるけれど、わたしの場合は、味が分からないのではなく、なにを食べても苦く感じる。味が分かるだけマシなのだろうけど、苦いのはヤダ。
 耳鼻咽喉科の、白衣に白髪の老医師は「解離性味覚障害、でもなさそうだし。心因性……」などとぶつぶつ言いながら首をひねるばかりで、最後には「ストレスが原因でしょう」と、トリプなんとかっていう抗うつ剤を処方して、ではお大事にね、などと帰らされた。
 私自身は亜鉛の不足が原因だろうと思っている。ここのところコンビニの弁当やスーパーのお惣菜ばかりの食生活が続いたのがきっといけなかったのだろう。他にも原因は思い当たるけれど、わからない。

 月に一度が、週に一度になって、今日が健一くんの来る日だ。それなのにわたしはアパートに帰えろうともせず、暮れなずむ街並みを、バー『フットブレース』に向かって歩いている。
 一年前に知り合った健一くんは、わたしにとってはできすぎな人。でもなんだかちょっと重い。たとえば、余計なことを口走らない賢明さにしても、節度あるハジけかたにしても。たぶん、わたしには分相応をはるかに越えた男なんだろうなと感じている。イケメンだし、料理もあっちも上手だし。
 その健一くんが「んじゃ、明日は腕にヨリをかけて作るよ」なんてLINEを寄越してきたものだから、天邪鬼なわたしは帰りたくなくなったのだ。
 先週の土曜日には、わたしの味覚はすでにおかしかった。
 十畳ほどの部屋。ベッドとテレビボードに挟まれた六十センチ四方のテーブルの上に並べられた料理を前にして、わたしの心は複雑にしおれていった。
 茶わん蒸しと豚の角煮とポテサラの、脈絡もない取り合わせにもかかわらず一瞬食欲をそそられたけれど、いかんせん、わたしのバカ舌はなにを食べても苦いのだから泣きそうだった。
 健一くんの作った料理をさも美味そうに食べるのは、マジつらかった。本人を前にして「うん、おいしいこれ!」などと眼を輝かせながら笑うなんて地獄だ。だったら「ごめんね、なんか、味わかんないんだ。ほんとごめん」と正直に言えばいいんだろうけど、限られた時間の間に一生懸命作ってくれた健一くんの反応が怖くて、コクれないまま今日の日が来てしまった。
「いらっしゃい。お、チエちゃん、どうしちゃったのこんなに早くから」
 フットブレースのマスターはカウンターの中で忙しそうになにかを仕込んでいる。店内にかすかに流れているのはサラ・ヴォーンだろうか。いつもながら渋いピックアップだ。
「うん、ここんとこ舌がね。てか、なに食べても苦いの」
「はぁ……」
「それでね、強いお酒でも飲んだらよくなるかなぁ、って」
「はぁ?、そんなわけないでしょ。飲み物の味は大丈夫なん?」
「うん、食べ物だけ苦い」そう言ったとたん、健一くんのことを思いだして、口の中が一瞬苦くなった。
「マスター、ズブロッカをロックでもらっていい?」
「こんな時間にしょっぱなからズブロッカって?なんも食ってないんやろ、チエちゃん。やめとき」
「一杯だけで帰るから、お願い」
 合わせた両手を額にくっつけて拝むと「しょうがないなぁ」ってマスターの小さな声が聞こえた。
 ズブロッカは桜餅の葉っぱに似た香りがする、バイソングラスを一本だけ漬け込んだウォッカだ。アルコール度数は四十%。元彼が好きでよく飲んでいた。
 ひとくち含むと、口の奥から鼻に向かってやわらかな香りが突き抜けてゆく。
「ああ、おいしい」とろりとした液体は爽やかな香りを鼻腔にわずかに残して喉元をすべり落ちていった。
「チエちゃん、おいしいのはいいけど、苦くてもごはんはちゃんと食べないといけんよ」
「わかってますってマスター、これ飲んだら帰ります。健一くん待ってるし」
「こないだ一緒に来た、料理がうまいって人?え、待たせてるの?チエちゃん、なにやってるんよこんなとこで」わたしは、自分の店をこんなとこ呼ばわりもないでしょ、と厨房に引っ込んだマスターの背中に軽口をたたく。サラ・ヴォーンの歌声はいつも泣いているみたいだ。
 わたしは、早く帰ってやんなきゃ、と急かすマスターの忠告が聞こえないふりをしてキンキンに冷えたズブロッカをゆっくり唇に運んだ。マスターはなにも知らないから、早く帰れだなんて言えるのよ、とは怖くてその唇が言ってくれない。
「なんか、味覚がもどったような気がするよ、マスター」
「よけいなお世話かもしれないけど、味覚が変なのはチエちゃんの気持ちの持ち方、というか在り方だと思うよ俺は。よくわかんないけど」
「はいはい、わかってます。わたしね、どこかで健一くんから逃げてるんだと思う。優しくされることに慣れてないのかもなぁ」そんなんじゃない。なにかと面倒になっただけだ。
「不器用で面倒くさい子だよ、まったく」
 グリーンイエローのズブロッカが霜をまとったグラスの中で静かに揺れている。
「ねぇマスター。今年お花見した?」
「なんだよ唐突に。先月、城址公園に行ったよ、カミさんとふたりで。朝は晴れてたのに急に降りだしちゃって、セッティングの撤収が大変だったけどね。でももう来年までおあずけだね、桜」
「あのね、雨の降る日は天気が悪いんだよ、知ってる?」
 春になったらお弁当作って花見に行こう、って約束してたのに、結局、わたしと健一くんはどこにも行かなかった。「娘が熱出した」ってLINEが送られてきたのはその日の朝だ。
「え、雨がどうしたって?」厨房の中のマスターの声がなぜかこもって聞こえる。
「ねぇ、マスター。ズブロッカって、なんか、春の味がするよね」
 サラ・ヴォーンの唄はいつのまにか『What Are You Doing The Rest Of Your Life』(邦題:これからの人生)に替わっている。
 ♪I have only one request of your life
  That you spend it all with me...
  あなたの人生に一つだけお願いしたいことがある
  これからの人生を私と過ごしてほしいということ……

 なに言ってんの、サラは。しょうがないオバちゃんだなぁ、ったく。
 『フットブレース』の階段を下りると小雨が降っていた。
「あのね、雨の降る日は天気が悪いんだよ、知ってる?」
 さっき、マスターに訊いた言葉が頭の中を渦巻いては消えてゆく。結局わたしは、帰るしかないんだよね。
 見上げると、真っ黒な夜空から舞い降りた銀色の雫が、わたしの頬を包んで、やさしく濡らしていった。


   (了)
 

2018.4.1
    道行き

 ちょっと鹿児島まで行ってくれんですか、とは社長も人使いが荒い。
 まぁ、全従業員を寄せ集めてもようやく野球チームが作れようかというほどの零細企業だから、こんなロートルに出張を申しつけるのは仕方のないことだが、それにしても三百キロ近く離れた九州の南端までは、ちょっと行ってこい、という距離ではない。どうせなら屋台犇(ひしめ)く博多くらいにしてほしかった。中州営業所、なんてわが社にはないんだけど……。
 一昨日の昼休み、いつもは眉間に縦皺を刻んでいる社長から「森田さん、休憩中にすみませんがちょっと……」と、いつにない笑顔で手招きされた時にはさすがにゾクッった。半年後の定年退職を前にまさか馘首(くび)ってことはなかろうと高をくくっていたけれど、新製品の説明で鹿児島営業所に行かされるとは思ってもいなかった。
 今時分、どんな遠隔地でもネット環境さえ整っていればメールで書類も送れるし、スカイプを使えば世界中どこでもリアルタイムで通話可能な時代だ。商品そのものは宅配業者に頼めばことは足りるというのに、製品説明ごときで人ひとりをわざわざ鹿児島まで向かわせなくても。
「……ということで、急で悪いんだけど今週中にお願い」と、私の肩に毛むくじゃらの手を乗せたまま社長はこともなげに言ったのだった。
「え、小林じゃだめなんですか社長」眉を下げて哀訴嘆願を装ってみたが、効果はなかった。
「コバちゃんはねぇ、先週山口の実家が全焼しちゃったのよ」それは私も聞いている。隣家からのもらい火だったらしい。
「ご両親、焼け出されて仮住まいだって、明日から有給取って里帰りなのよ、ったく」柔和さを貼りつけていたはずの社長の眉間には、いつのまにか縦皺が寄っている。
 小林雅夫は開発部の主任エンジニアだ。わが社の主力商品『スーパースウィープ』の改良モデル『スーパースウィープエクストラ』の製品説明など、どう考えても営業の私より開発者の小林の方が適任だと思う。
「いやいやいや社長。それにしたってやっぱり小林でしょ。私より二回りも若いんだし、だいたい説明なんて山口から帰ってきてからでも遅くないんじゃ……」と全力で抵抗を試みたが、
「森田さん、スーパースウィープエクストラは今後うちの将来を担う画期的な主力商品なんですよ。その説明と販路拡大に工場のヨネさんを向かわせられないでしょ?ねっ、そこはほら、営業一筋、知識も豊富、滑舌豊かな森田さんにご登場願って、鹿児島の井野辺所長といっしょにお得意さん廻りをしていただかないと」
 そりゃそうだ。わが社「有限会社桃田シリコン」は社長以下、ひとりだけの営業部の私と、ひとりだけの開発部の小林、ひとりだけで経理と庶務と総務を兼務する社長夫人タマ代、それから工場長の曾根崎じいさんと、あとは製造、梱包、配送のヨネさんを筆頭に、社飼いの老猫「モモちゃん」の給餌係ほか雑務を受け持っているパートのおばちゃん三人の、総計八人だけの会社なんだから「アンタしかいないの」と強面にウインクされた日には、ハイごもっともで、と応えるしかない。
 鹿児島中央駅までは、日豊本線大分駅を出て小倉か博多で乗り換えになる。山陽新幹線小倉から博多に行くより三十分ほどよけいにかかるにしても、直接博多から九州新幹線に乗れば八百円近くは安くなる。大分発十一時前のソニックに乗って博多でみずほに乗り換えれば午後二時半ごろには鹿児島中央駅に着くだろう。
「わかりました。じゃあ明後日発ということで新幹線のチケットを手配しておきます」としぶしぶ了承した。
 すると社長は私の口癖を真似して「いーやいやいや森田さん」と人差し指を横に振って、
「日豊本線でお願いよ、森田さん。ケチくさいことを言うようだけど、会社としてもコバちゃんを手ぶらで帰らせるわけにいかないじゃないの、ねっ、わかるでしょ」などとぬかしやがった。
(いやいやいや。都町あたりの怪しいおかまバーに通う金があるなら新幹線代くらい出せるやろ)とは思ったが、趣味はどうであれ、まさか雇い主に向かってそんなことは言えるはずもない。
 日豊本線を直接南下する特急だと、鹿児島中央駅まで五時間くらいの道のりだが、たしかに新幹線利用のほぼ半額で鹿児島まで行ける。小林の見舞金にいくら包んだのか知らないが、そのとばっちりをこっちに向けられてもなぁ、と思いながらも出張旅費の金嵩(かねがさ)なんかでゴネるのも情けなくなって、ハイわかりました、と社長室のドアを閉めた。

     *

 大分から都合五時間と少し。鹿児島中央駅のホームに降り立ったときには二時半を回っていた。
 宮崎で乗り換えはしたが、さすがにずっと座りっぱなしだった私の足腰はアシモのようにぎくしゃくとし、最近下がり気味のケツ筋までもが悲鳴を上げている。
 鹿児島中央駅から真砂町の営業所までは、車で十分ほどの距離にある。市電なら最寄りの涙橋停留所まで二十分。停留所から歩いて十分ほどだ。大分市内から姿をなくして久しい路面電車にでも乗ってちょっとした旅気分に浸りたかったのに、律儀にも出迎えに来てくれた井野辺は、駅ビルの駐車場に十数年落ちの社用車を停めていた。
 井野辺とは、彼が鹿児島営業所の新所長として飛ばされて以来だから十年ぶりの再会ということになる。社用車はそのときに導入した中古のカローラだが、ドアに貼られた社名「桃田シリコン」の「田」と「コン」の文字が薄く擦り切れて「桃シリ」になってしまっている。悪いことにロゴシールは社名にちなんで桃色ときているから笑えない。これじゃぁ時代遅れのランパブ宣伝カーだ。
「いやいやいやイノちゃん、桃尻って、さすがにこれは貼り替えんといけんやろ」と井野辺の背中に笑いかけたが、耳が遠くなったのか振り向いてもくれなかった。私も井野辺も本人の知らない間に歳をとってしまったということだろう。そう思うと井野辺の猫背気味の背中がなんとなく会社の「モモちゃん」のそれを彷彿させ悲しい。
 今の「桃田シリコン」の規模は私がここに雇用された当時とそれほど変わってはいない。そのころは人情味のあった先代も健在で、私も井野辺もまだ四十代半ばの、かっこよくいえば、やる気ある営業戦士だった。今ではもうとっくに薄れてしまった「やりがい」みたいなものも感じていたし、なによりも、ちょうど妻の病気が判明した年でもあり、その治療費を稼ぐためにちゃんと働こうと心した年でもある。
 スーパースウィープエクストラ(SS-EX 通称S-EX)は、バスなどの大型車両用洗車機に装着する洗浄ブラシである。化繊や布を主材料とした前モデルに、小林の執念によって超軟化に成功したシリコンブラシを併用している。
 桜島の火山灰で汚れた車体の機械洗浄は細かい傷が着いてタブーなのだが、それを可能にしたところにS-EXの勝算があると、社長ならずとも、曾根崎さんもヨネさんも声をそろえて力説している。ただ、従来のブラシとシリコンブラシとのバランスが微妙で、たしかに洗車マシンを前にして直接説明しなければ習得できないだろう。しかも、カタログには書かれていないが、柔らかいブラシだけに耐久性に多少の問題がある。その車の洗車回数とS-EXの取替えのタイミングをどう説明するかはやはり営業の口先、いや、説得に委ねられるのはたしかだ。
 同期で同い年とはいえ、大分、福岡と熊本の一部を商圏として、他業者の追随に戦々恐々とした日々を送る私に比べれば、ライバル社の少ない鹿児島で、よくも悪くもない営業成績の井野辺へのレクチャーには思いのほか時間がかかった。
 商品そのものが特殊なものだけに、営業起点の鹿児島市内でセールス対象としている会社は二十社程度だ。その中でどうしても出し抜けない八社を除いたバス会社を、明日井野辺とふたりで回る。それ以外の北薩、南薩、姶良・伊佐、大隅地区は井野辺が今後時間をかけてゆっくり回ればいいだろう。
 気がつけば、営業所の窓から西桜島水道を介して悠然と坐する桜島は、いつのまにか西日を全身に受け、振り上げた拳(こぶし)のような噴煙を緋色に染めあげようとしていた。
 三十五年前の今ごろ、そう、ちょうど三月半ばの、新婚旅行の真似事のようだったあの旅の車窓から、淡桃色の帯となって流れゆく満開の桜並木と桜島の噴煙を、妻となってほどない千絵子といっしょに眺めたことがあった。当時はまだ国鉄だった日豊本線の沿線にはちがいないが、それがどの辺りだったか今となってはわかりようがない。
 井野辺にS-EXの小売希望価格と取り付け費こみこみのグロス価格などを説明した後は翌日の外回りを待つだけとなり、営業所近くの居酒屋で久しぶりにいっぱいやろうということになった。
 地元では『つけ揚げ』と呼ばれるかなり甘めのさつま揚げには閉口したが、とり刺しに、トビウオやきびなごなどの新鮮な食材を使った薩摩料理と、井野辺から是非にと薦められた芋焼酎「森伊蔵」は格別だった。
 よほど嬉しいのか寂しかったのか、いつもはひとりで走り回っている井野辺は、穴を埋めるように上機嫌でしゃべり、私が「もうそろそろ」と腰を上げるまで飲み続けた。おそらく愚痴ひとつこぼす相手もいない生活にうら寂しい思いをしていたのだろう。たしかこっちに赴任して二三年後に奥さんを亡くしているはずだ。今思えば、井野辺がこの地に転勤させられたのは、彼ら夫婦に子どもがいなかったから、というのもひとつの理由だったのかもしれない。
「それはそうと奥さんの具合はどうなん?」井野辺が朦朧とした眼で唐突に訊いてくる。妻の発病を誰かから聞いていたのだろう。井野辺の赴任と千絵子の病が判明したのは同じ年だったはずだ。
 井野辺の問いに答えず「イノちゃんこそどうなんよ?独身を謳歌してるんじゃないの」と混ぜ返すと、
「俺はもうここに骨を埋めることにしたよ、モリちゃん」と、なにもかも了見してしまったようになんども頷(うなず)いた。戦友ともいえるそんな井野辺の作り笑いが、私は辛かった。今はもう巣立ってしまったが、あの頃我が家にもし健一郎と美波が生まれていなければ、井野辺の代わりに私が赴任していてもおかしくない話だった。
 鹿児島県内では最大手の観光バス会社「薩摩観光交通」を手始めとして、前日リストアップしていた会社への営業は酷い二日酔いにもめげずスムーズに終わった。思った通り、S-EXの感触はどの会社でも上々だった。これで井野辺も暫くの間は忙しくなり、少しは寂しさも紛れるのではないか。そうであってほしいと願うばかりだ。
 性懲りもなく、その夜も昨日の居酒屋になだれこんだが、私も井野辺もさすがに詰めづめの営業行脚(あんぎゃ)に疲れ果て、早めのお開きとなった。

     *

 井野辺へのバトンタッチも午前中に終え「駅まで送らせてよモリちゃん」とどことなく寂しげな彼の申し出をやんわりと断って営業所を後にした。
 前日に引き続き、朝からいい天気だ。ところどころに見る桜も六分咲きというところだろうか、気持ちのいい風に薄紅色の花びらを揺らしている。とりあえず途中で見つけたドラッグストアで湿布薬を買っておいた。鉄板のように硬くなった腰に効いてくれればと思うばかりである。
 十一時過ぎの電車で鹿児島駅まで行き、そのまま都城と宮崎経由で大分までであれば、鹿児島中央、宮崎経由より乗り換えが増える分、千二百円ほど安くなる。「もちろん自由席ですからね」とは、インターネットで運賃表を調べていたらしいタマ代からのお達しだ。なにか釈然としないが、無事使命を終えた安堵感に比べれば、六時間半ほどの長い道程もしかたがない。読みかけの文庫本でも膝に置き、車窓に流れる景色を眺めつつ読みつつしていればそれほど苦にもならないだろう。
 都城を過ぎ、宮崎で特急にちりん十八号に乗り換えれば三時間と少し。六時前には大分駅に着く。乗車前に貼った湿布薬が効いてきたのか、腰の痛みは今のところさほど酷くはない。
 乗り換え後、うとうととしている間に小一時間が過ぎたようで、南延岡到着のアナウンスに目が覚めた。
 私の乗った車両に半分ほどいた乗客はいつの間にか降りてしまったらしく、通路を挟んだ隣席のカップルだけになっている。乗り換えたときにはいなかったはずだから、おそらく高鍋か日向あたりで乗ってきたのだろう。ふたりともバブル期に流行ったような、今見れば野暮ったい服装だ。とはいえ、車窓に映る私も、吊るし物のグレースーツに、それこそ何年も前に妻に買ってもらったレジメンタルタイを締めている。おまけに薄くなり始めた頭頂部に花粉対策用のマスク姿となれば、どちらが怪しいのか判らない。真正面ならともかく、通路を挟んで真横に座るふたりの表情までは読み取れなかった。
「あとどれくらいかかる?」
「さあなぁ。一時間くらいじゃねえか」
 女は二十代半ば、だろうか。声は見かけより落ち着いた感じで、男はそれより二つほど年上の、外見にふさわしくぶっきらぼうな物言いだ。どちらかといえば私の苦手なタイプと見た。
 南延岡から一時間とすれば、佐伯あたりで降りるつもりなのだろう。どこの山奥から出てきたのか知らないが、時代錯誤のファッションを別にすれば、なにひとつ特徴のない、どこにでもいそうな、はっきり言ってダサいカップルである。
「雨降ってなければいいね、大分」女の方が窓外を見るでもなく呟いたのがかすかに聞こえて、私は思わず隣席のふたりを見返した。
「大分までだったらあと二時間はかかりますよ」よほどそう知らせてあげようかと思ったが、おそらく新婚旅行中らしいふたりには、あと一時間だろうが二時間だろうがよけいなお世話だろう。それよりも、女の声色はどことなく聞いたことがあるような気が……。そう思った刹那、唐突な眩暈(めまい)に襲われて膝の文庫本を落してしまった。驚いたふたりが同時にこちらに顔を向けたような気がする。そのまま私は気を失ってしまった。

     *

 なにがどうなったのかわからない。車輪の転動音に気を取りもどたときには、隣席から訝しげに覗きこむふたりの視線を受けていた。男の方は腰を上げかけている。居心地の悪さに間が持てず軽く会釈すると、大丈夫と思ったのか、窓側に座る女が男の肩越しにかすかに笑んで、垢抜けた会釈を返してきた。男は何事もなかったかのように腰を落し、車窓に眼を向けなおして座席の揺れに身体をゆだねている。
 自分がまだ夢の続きを見ているのではないかと、背もたれに後頭を預けて、私はまた眼をつぶった。
 先ほどからの女の声、男の居ずまい、それにふたりの装いを瞼の裏に映し起こしてみる。
 今通路を挟んで座るふたりは、どう考えてみても、やはり三十五年前の私と、妻になったばかりの千絵子に違いなかった。
 男の腕時計にも、コンバースのスニーカーにも見覚えがある。窓枠に置いたノーブランドのハンドバッグは、結婚指輪がどうしても買えず、せめてもと安月給を苦心して私が千絵子に贈ったものだ。どこかの喫茶店だった。ドアが開くたびに、カウベルが鳴っていた。
「ごめん、こんなので悪いんやけど」とぎこちなくテーブルに差し出したのは千絵子の何回目の誕生日だったのだろう。包装紙を解いた彼女はハンドバッグを胸にきつく抱きしめたまま俯いて、いつまでも静かにすすり泣いていた。
 私と違って裕福な家に不自由なく育ったはずなのに、昔から物を捨てることができない女だった。あのハンドバッグはおそらく今でも家のどこかにしまってあるのだと思う。

 三十五年前、千絵子の両親から結婚を反対された。一人娘だからか家柄が違い過ぎるからか、私にはその理由はわからなかった。千絵子に問いただしてみても首を振り涙を流すばかりで、それ以来訊ねることはやめた。もう知りたくもないし、わだかまってもいない。
 互いの友人二三人と、私の母と亡父の遺影、そのほかは千絵子の身内で唯一私たちを応援してくれた彼女の従姉だけの、出席者十人にも満たないささやかな結婚式を挙げた。春も中旬にさしかかろうかというのに、街はずれの小さな料理屋の、たったの八畳間でさえ薄寒く思えるほど寂しい結婚式だった。料理を運ぶ仲居さんでさえ気の毒がるほど質素な式だったが、実の親に祝ってもらえなかった新妻の不幸せをとりたてて嘆くでもなく、誰もが私たちの小さな契りを慶んでくれた。それ以前も今も、千絵子の家との交流は途絶えたままだ。両親も孫の顔を知らぬまま十四五年前に他界してしまったと聞く。
 行き先もなにも考えず、駆け落ちるようにして日豊本線の電車に飛び乗ったのはその日の夕暮れだったにちがいないが、何時ごろかは覚えていない。駅頭のケヤキ並木にたむろすムクドリのざわめきの下で、どこでもいいから来た列車に乗ろう、そう言い結んだ私たちの言葉だけが、そのときの私と千絵子の未来であり希望であり、そして明日を繋ぐ糧でもあった。幸せを担保するものなど、私たちは何ひとつ持ち合わせてはいなかった。

 それにしても昨年突然罹(かか)った花粉症に感謝したい。老眼鏡に曇り防止用マスク、くわえて最近薄くなりはじめた頭では、隣の若い私も千絵子も、まさか隣席の胡散臭いおやじが将来の自分や夫とは思いもよらないだろう。
 窓一面に碧々とした日向灘が拡がり、すぐそばを満開の桜並木が流れ飛んでゆく。そう、三十五年前の記憶の中を流れ去った淡桃色は、今まさに車窓をゆき過ぎる日南海岸と咲き盛る桜木の風景にちがいない。
「お腹すいたね」千絵子が若い私にささやいている。こんなに淡く可憐な声だったろうか、耳の記憶はおぼろげだ。それにしてもこそばゆいほどの新妻の声は、妻というより、連れ合いといったほうがしっくりくる今の千絵子からは想像できない。
「そうやな、駅に着いたらどっかに寄って帰るか」
「うーん、ラーメンかなぁ。あ、わたしおでんがいいな」千絵子がなにかを考えるときの、上目づかいに口角をきゅっと真横に引く仕草は今も健在だ。
「じゃあ城崎の屋台にでも寄ろう。もう開いてる時間やろ」人差し指で袖をめくって腕時計を覗く今の癖そのままに、若い私は新妻の横顔に微笑みかけている。ふたりの会話はどこまでも訥々として味気ない。
 現(うつつ)か幻か、もう気にすまい。気を揉んだところで、今の私にふたりの行く末をどうこうするつもりはない。山も谷も、横道さえも現れる人生に線を引き直したところで、今の私たちのこの先はさほど変わりようもなかろう。
 ただ心地よく震える背もたれにもう一度頭を預け、長かったようなこれまでと、もうどれほども残されてはいないこれからを想って私はもう一度眼をとじた。

     *
 
 この道行きの二年後に、千絵子おまえは、健一郎、その三年後には美波を産むことになる。ふたりともちゃんと反抗期を向かえ、もう俺たちのもとを巣立っていったよ。今では美波に子どもが生まれ、すでに俺たちもじいちゃん、ばあちゃんになっている。健一郎はいくつかの職を転々としたあげく、今の気象予報の仕事が面白いと、まだしばらくは独身を貫くつもりらしい。
 おまえに癌が見つかるのはこれから十年後。互いに最初は取り乱し、悲嘆にくれるけれど、大丈夫。乳がんでステージ兇任呂△襪韻鼻∩甦は早期だから。その後の検査でリンパ節への転移は認められてはいないし、腫瘍の広がりも少ないから、放射線の照射と薬物療法とホルモン療法でちゃんと完治する。だからそれも心配しなくていい。もちろんおまえはそれから何年間も定期検診を怠らず受けて、三十五年後の今もふたつの乳房は綺麗なまま温存されている。弾力はずいぶん心許なくなってしまったけれど、それはまぁ、それとして……。でも、ほんとうによく頑張ったね、千絵子。俺は今、感謝という言葉を初めて知ったような気がする。
 もちろん小さな行き違いや互いのわがままで何度も喧嘩はする。仲直りの接ぎ穂を見つけられずに「実家に帰らせてもらいます」そんな悲しい啖呵を切って、おまえは何度か家を飛び出してしまうけれど、俺たちを認めてくれなかった実家にだけはけっして近寄らず、いつも町内を彷徨ったあげく、近くのコンビニで買った二人分のショートケーキと缶コーヒーを手に「ただいまぁ」なんてバツが悪そうな小声で帰ってきたりするんだ。
 俺たちにとっての事件といえばそれくらいのことだから、安心しなさい。
 おまえは何も言わなかったけれど、勤め先を幾度か変えた俺の行く先に不安はいつも感じていたと思う。今の勤め先は小さくてセコい会社だけど、それなりに定年まで勤めあげられそうだ。若社長はちょっとあっち系でイタい感じだけど、本当は悪い人じゃない、と俺は思っている。奥さんのタマ代さんだってそう、ただ口うるさいだけで心根は
優しい人だから気にしてはいない。
 なぁ千絵子。俺が選んだのがおまえでよかった。いやいやいや、おまえがこんな俺を選んでくれてよかった。本当にそう思う。ありがとう。
 これから二時間後、隣で不安げに座る若い俺たちふたりは、JRおおいたシティに建て替わるずっと前の古めかしい大分駅に降り立つ。大丈夫、雨は降っていない。そこからまた、俺の、いや、俺たちの今日までが始まってゆく。
 帰りに城崎の屋台に寄っておでんでも買って帰ろう。あのときは大根と牛スジ、それから……あとは覚えていない。
 これまで土産など一度も買って帰ったことのない俺を、「今」のおまえは訝しむだろうか。それとも三十五年前のあのときのように、垢抜けた笑みで見つめてくれるだろうか。
 
   (了)

2018.3.1
    中(あたる)

 隣室から、もそもそと身じろぐ気配がして、すぐに壁を突く硬い音がした。
 よし乃荘はどの部屋も、腕を伸ばせば寝床から壁まで造作もなく届くほどの三畳間である。隣人は枕元の孫の手ででも突いたのだろう。
 部屋を隔てる壁は、情けないを通り越して、笑ってしまうほどに薄っぺらだ。わざわざ孫の手など使わなくても、寂しかったら寂しいと、苦しかったら苦しいと最初から声にさえすれば、おそらく胸に傷を持つ者同士、意思は通じる。
 軽い咳払いをひとつしても挙動は筒抜けなのに、それほど直接的でないのは、世の中の底辺で生きていると自覚する者同士の「遠慮」というものか、それとも「情け」に似たようなものだろうか。
 バス通りから幾筋もはずれた木賃アパートに棲まわなければならない「理由(わけ)」があるのは、隣人のタケミヤケンジにかかわらず、増田も例外ではなかった。
 こつこつと小突かれた壁は、勘ぐる間もなく静まった。少しの間をおいて「起きちょんのか、ちゅうさん……」と、探るようなタケミヤケンジの声が続く。
 増田中(あたる)は、台所ともいえない水屋で、ちょうど赤く熱しはじめた電熱器の金網に食パンをひと切れ乗せたところだ。湿気を含んだ香ばしい薫りが、昨夜から白湯(さゆ)以外なにも口にしていない増田の鼻腔と胃を鳴かせた。増田が県道10号線の補修現場から帰ってきたのは今朝の四時半で、くたくたに疲れ果てた身体は、腹を満たすことよりも、とりあえず寝ることを選んだのだった。
 今年六十二になる増田に、交通誘導警備の仕事はきつい。特にこの寒い時期の夜間は、いくら使い捨てカイロを全身に貼ったところで、通行車両に赤白の旗を降り続ける仕事は身体にも神経にも堪える。
「……ちゅうさん?」タケミヤケンジの声がさっきより不安げに聞こえた。
「なんね?ケンちゃん」
「ああ、なんかい、生きちょったん?あんた」
「なにを言うちょるん毎朝毎朝。もう八時やっちゃ、あんたも早よ起きな」
 このアパートに移り棲んでどれくらいになるのだろうか。増田の言葉は北九州弁と大分弁がごっちゃになった妙なイントネーションだ。
「ええ?早ようもなんも、わしゃぁ五時から起きちょるわ。こう腹が減っちょったら眠とうても眠れんわ」
「ぐずぐず言わんと。ほれ、お日さん出ちょるよ」
 増田が棲むよし乃荘は、一階に増田の遠縁の親戚で大家の芳乃ばあさんが三室を繋いで棲んでおり、二階の三室には、その日暮らしの、それも世でいう『定年』をはるかに通り過ぎた日雇い作業員ばかりが、切羽を詰まらせ、日いちにちを天からの授かりもののようにして生きている。増田の部屋は二階の真ん中だ。
 わざとらしい欠伸(あくび)をしたかと思うそばから布ずれの音がした。夜具を寄せているのだろう。東隣の薄壁を通して、タケミヤケンジが起きだす気配が濃厚に伝わってきた。
「ちゅうさん、わし、きのう上がったの、朝の三時やで三時。あぁ、腹へった」
「なに言いよんのかいケンちゃん、わしは四時上がりの七時起きや。これからまた旗振りで。たまらんわなぁ、こん寒みぃのに」
「そうやなぁ。ずっと立ちっぱなしじゃろ?あんた。人んことは言えんけど、わしもここんとこガタがきちょってなぁ」
「お、ちょうど焼けたでケンちゃん。マヨネーズ塗っただけやけど食うかい?」
「そやけどあんたもよう働くなぁ……」そげぇ貯めこんで、どげえすんの……。
 語尾を呑みこんだタケミヤケンジは、飴色にくすんだ掛け布団を頭に被ったまま「いつも悪りぃな」と、増田の部屋の戸を引いた。手にはやはり孫の手が握られていた。
「ちゅうさんの中(ちゅう)は、あたるっち読むんじゃろ?そのわりにはハズレなことばっかしじゃねんな」
 マヨネーズを塗りたくったトースト一枚と、玄米茶だけの粗末な朝飯で精がついたのか、タケミヤケンジの唇はいつもより軽い。
「宝くじにも当たらん、おみくじ引きゃあ凶か末吉。かかあにもハズレてしもうて、当たったんはノロ(ウイルス)だけやわ」つられて増田も数日ぶりに嗤(わら)った。
 子供のころから「ちゅうさん」と呼ばれた。親がどういう経緯(いきさつ)で長男の自分に「中(あたる)」という名をつけたのか訊いたことはない。訊いたところで、無学だった両親の反応は分かり切っていたし、怖くもあった。
 中(あたる)という、誰一人として正確に読めない名を、増田は持て余してはいたが、恥じたことはなかった。小学校以来「ちゅうさん」の愛称が、増田の輝きも曇りもしないちょうど中ほどの立ち位置を担保してくれているように思ってきたが、それが中途半端だと言いかえれば、的を得ているようにも思う。


 <冬子>

 増田のギャンブルでふくらんだ借金と、それに輪をかけるほどの酒癖の悪さが祟ってか、美しかった妻は生まれて間もない娘を残してあっけなく死んだ。怠惰な夫の更生に愛想をつかし、時間を貪るように働きつめた挙句に、身体を壊して死んだのだった。
 急変を知らされて駆けつけた夜、小倉病院の地下室で温みも色もとうに喪った妻の抜け殻を前に、増田は初めて「冬子」という名を唇に落し、きつく眼をとじた。それももう、二十年と何年か前だったような気がするが、正確には覚えていない。
 清潔で暖かい火葬場のホールを抜け出ると、帳(とばり)の落ちかかった空に真綿をちぎったような雪が舞っていた。それが「うちのこともこの子のことも、もう忘れて」と空から冬子がささやきかけていることのように思えて、増田はこの期に及んでもなお都合のいい自分のずるさを恨んだ。
 火葬場で骨を拾ったその足で、片手に骨箱、おくるみに包み込んだ赤ん坊を片腕に抱いたまま、冬子から教えられていた乳児院の玄関をくぐった。赤ん坊の前髪に留まる綿雪は、唇を寄せた淡い息で溶かし続けた。そのたびにおくるみの中の赤ん坊は手足をばたつかせ、もの言うように笑う真っ黒な瞳に増田は凍えた。
 骨箱にも毛糸のおくるみにも、綿雪が舞い降りては融けていった。
 事務室脇の部屋に通され、住所氏名と連絡先を問われた。どことなく平坦で事務的な職員の口調と自分の卑屈さに、増田は腹を立てたが、受け入れる側の、私情を挟んではならない立場も、そして、あれこれ言えるはずもない自分の立場にも観念して、どうか、お願いします、と頭(こうべ)をテーブルにこすりつけたのだった。
 必要事項を記入した書類に拇印を捺し、詳しい聴取は後日出直したときにすることを誓約された後「それで、お子さんのお名前は」と訊かれた。産まれたその日も酔いつぶれていた増田が、子供の名など考えていたはずもない。窓いっぱいの薄闇を降り惑う綿雪を横目に「ゆき、雪子です」と、とっさの名を告げていた。いい加減な思いつきを職員に勘ぐられるのが怖くて増田は顔を伏せたが、冬子の娘は「雪子」でしかあるまいと思うと、ぞわりと背中が粟立って、そうだ、産まれるずっと前からこの子の名は雪子だったんだ、と自分に念じた。
 心が痛まなかったわけはない。どこの世にわが子を棄てて平穏でいられる親があるだろうか。今まさに子棄てをしようとする自分はしかし、人としての道理を貶(おとし)め、夜叉にも鬼畜にもならなければならないのだと思った。いや、人にもなりきれぬ鬼は、わが子に棄てられなければならないのだと、増田は自分を戒(いまし)めた。
 乳児院にはどれくらいいたのか覚えていない。半時間だったような気もするが、数時間だったといわれればそうかもしれない。
 来たときと同じように、積もることもできない雪が乳児院から転び出る増田の唇を濡らし、妻の名と思いつきばかりの名がその唇を何度もなんども震わせていた。
 それからどこをどう歩いて駅頭まで辿り着いたのか覚えていない。国鉄小倉駅までのおよそ十町を歩くあいだに増田の作業着は融けきらぬ雪に濡れそぼっていた。
 金輪際酒を絶つ、少しずつでも働く、と冬子に誓ったのは大分駅までの車中だったのか、駅からよし乃荘までの道中だったのか忘れた。自分に突然湧きあがった懺悔の心に反して、わが子から逃げてきた自分の本意が増田には信じられなかった。

 あれから二十数年にもなろうか。それなりにはまっとうに生きてきたと思う。酒もギャンブルも、煙草さえとうの昔にやめた。見知らぬ土地での人付き合いは世辞にも上手くはなかったが、あのとき誓った信義に逆らったことはなかったと思う。それでも世の中は、増田に生活の安定を与えてはくれなかった。日いちにちをなんとか繋いでいくのが精いっぱいなのは今も変わらない。そして、雪子のその後を案じない日もなかった。自分の出自に戸惑い、側(そば)むときが雪子にもいずれおとずれるだろう。それを思うと増田の胸は痛んだ。


 <雪子>

 県道の現場まで自転車を漕いでも、六十二歳の増田の脚では一時間はかかる。十時の交代までの間に掃除をし、溜め込んだ作業着の洗濯と湿った夜具でも干そうかと増田は思っていた。終日晴れるらしい日に、できれば敷布と掛け布団のカバー、それに枕カバーも洗っておきたい。
 話し相手がほしいのか、それとも寂しいのか、タケミヤケンジは、今日は休みやけんな、と玄米茶のおかわりをすすったまま三畳間奥の窓枠に寄りかかって昇り始めて間もない薄陽に目を細めている。
「あたるさーん、お客さんでぇ」こげん早よからもう、と階下から芳乃ばあさんが歳のわりには通る声で叫んだかと思うと、ゆっくりとしたきしみ音が板張りの階段をのぼり、増田の部屋の前で止まった。軽いノックの拍子に破れ戸がガタついて古臭い音をたてる。
「朝早くにすみません。紺野と申しますが、増田さんのお部屋、でしょうか」
 建具の向こうの呼吸を整える若い女の気配とくぐもった声が辺りの空気をこわばらせた。
 うたた寝でもしていたのか、目を細めていたタケミヤケンジがぎょっとした表情で増田を振り返る。(誰やろ?)と問い合うように、タケミヤケンジと増田の視線は絡(から)み合って動けない。増田が棲み始めてこのかた、よし乃荘の住人にこれまで来客のあったためしはないのだ。
 「……はい」洗いかけの小皿を手にしたまま増田が振り返ると、破れ戸の隙間から冷たそうに佇んでいるストッキングのつま先が見えた。
「はい、増田ですが」
「雪子です。紺野雪子。増田冬子の娘です」
「……」あぁ。
 ようやく応えた増田に(誰なん?)と、タケミヤケンジが無言の視線をまた寄せてきた。
 いつかはこういう時が必ず来る、増田はあれからずっとそう思っていたような気がする。
「増田は増田やけど、紺野さんっちゅう苗字も冬子さんっちゅう人もわしの知り合いにはおらんもんで、はい。人違いじゃねえでしょうか」
「……増田中(あたる)さん、ですよね」
「いや、わしは中(ちゅう)です。増田ちゅう。中(あたる)さんじゃねえですけん。すんませんが、どうかお引き取りを」
「二十五年前、小倉の……」その先は聞いてはならぬと遮った増田の声は、うわずってしまった。
「いやいや、人違いじゃろ。すんませんが……」
 言い終らなぬうちに、耳障りな音を引きずりながら破れ戸が開くと、板張りの暗い廊下を背に若い女が立っていた。
 丸襟の白いブラウスの上に、フラノ地の淡い臙脂のコートを羽織っている。長すぎず短すぎでもないベージュのギャザースカートは、どう見てもよし乃荘にはそぐわないが、増田は冬子が帰ってきた、と一瞬眼をつぶってしまった。
「小倉の乳児院に預けられた雪子です。おとうさん?」
(いやいや、おとうさんじゃねえ。わしはあんたを棄てた男じゃ。わが子を棄てるような奴は人間でも父親でもなかろう。わしはあんたを棄てた鬼じゃけ)そう思ってはみても、生まれて始めて、おとうさん、と呼ばれたくすぐったさに、鬼だったはずの増田の眼に思わぬ涙があふれた。それでもやはり、棄てた子におとうさんと呼ばせてはならなかった。鬼の声を聞かせてはならないのだと思った。
「増田中 冬子。毛糸のおくるみに名前が編み込まれていたんです。でもずっと中(あたる)って読めなかった。おかあさんは増田っていう中学校の卒業生で、おくるみはなにかの記念に編んだものだとずっと思いこんでいたんです私。おかしいでしょ、中学生がおくるみなんか編むはずもないのに」
 病院から逃げるように駆け出た増田に、妻が編み込んだ名前など気づくはずもない。あの雪夜の記憶はすべて小倉駅のホームに捨ててきた。
 雪子は半畳ばかりの戸口に立ちすくんだまま、奥の窓枠に肩を預けて動けずにいるタケミヤケンジを見やった。隣室に帰ろうにも、退路を塞がれてしまった彼は、少しずつ影を濃くしてゆく朝陽に顔を向けて、また目を閉じてしまっている。
 立ちすくむ増田の手元を見るでもなく、雪子はひとりごとのように言葉をつないだ。
「記憶にはないんですけど、それから何箇月もしないうちに紺野の父母が里親になってくれたんです。その養父母も一昨年癌で亡くなって。もう高齢だったから……」
 物憂げに佇む姿はやはり冬子に生き写しだった。
「遺品を片づけてたらこんなものが出てきて。それからずっと捜していたんです、おとうさんのこと」雪子はショルダーバッグから小さな手帳を取り出して見せた。増田には知るはずもないデザインの預金通帳だ。
「毎月三千円ずつ。誕生日とクリスマスとお正月にもそれぞれに三千円。先週も振り込まれていました。合わせて百十二万五千円。これ、おとうさんですよね。増田雪子宛の名前で乳児院宛に送られてきたお金を、施設長さんが郵便局に預けてくれてたんです。それを里親になってくれた父母が引き継いでくれていました。ずっと知らなかったんです。私、二十五年も知らずに……」雪子は両掌で顔を覆ったまま泣き崩れてしまった。
「送金者が誰なのか、亡くなってしまった父母に訊けるはずもなく、当時の施設長さんに訊ねても教えてくれませんでした」
「なんかなぁ、ちゅうさん。あんたちゅう人は、あんたちゅう人は」右腕で覆った顔を空に向けたまま、タケミヤケンジが呟いている。
「おとうさん私ね、来月結婚するんです。相手は銀行に勤める人。やっぱり施設で育った人だけど、ふたつ上の優しい人です。口下手で、それにあまり融通の利く方じゃないけど、いい人なんです。おとうさんにだけは知ってほしいかった。だから結婚式に……」
「雪子さん、じゃったかな。あんたみたいに気立てもよくてべっぴんさんなら、そんおとうさんちゅう人も、もう死んでもいいくらいに嬉しかろう。じゃけど、やっぱり人違いですけ。すんません、わしは中(あたる)さんでもなけりゃ、そげなりっぱな人でもねえですけん、どうかおとうさんち呼ばんでください。もったいねえことです。仮にわしがあんたの父親じゃったとしても、こげな風体のじいさんじゃあんたもいい笑いもんになるだけじゃろうしな」(ありがとう、ありがとう。こげないい子に育ててくれて、ありがとうございました)
 誰にともなく深々と頭を下げると、紅いほっぺや前髪に降りかかっては融け消えてゆく綿雪、それから、毛糸のおくるみにくるまれた赤ん坊の笑い顔、まっすぐに増田の眼を見つめるふたつの黒い瞳のそれぞれが、閉じた増田の瞼の中に蘇ってすぐに消えた。
「あんたのおとうさんがどげなお人か知らんけど、雪子さん、そんお金はあんたの結婚式の費用に使こうてあげたらどうじゃろう。それやったらあんたのおとうさんも喜んでくれるんじゃなかろうか」
 はい、とも、いや、とも、雪子は答えなかった。


 <タケミヤケンジ>

「すんません。もうぼちぼち現場に出らないけん時間じゃけ」
 袖をまくって見たものの、腕時計を失くして久しいことに気づいた増田は、われながらへたくそな嘘に頭を掻いた。タケミヤケンジがそれを庇(かば)うように雪子に向き直る。
「お嬢さん、あんたのおとうさんじゃねえち、こん人が言いよんのやけん、そういうことにしちゃってもらえんじゃろうか。この世で一番大切な人に、知っちょっても知らん、わかちょってもわからんち言い張らないけん理由(わけ)っちゅうもんが人にはあるんじゃろう。それがお嬢さんに対してのこん人の矜持なんじゃなかろうか。わしが言うのも変な話じゃけど。なぁお嬢さん、あんたも切ねえじゃろうけど、わかっちゃってくれんじゃろうか。あんたが幸せになること、それがその、中(あたる)さんちゅうおとうさんが一番喜ぶことじゃなかろうか」
 タケミヤケンジが優しい笑顔を浮かべると、雪子も、それはわかっています、というように微笑んで小さく頷(うなず)いた。
 タケミヤケンジのはるか向うの空が気づかぬうちに拡がって、仄明りだった朝陽が輝きを増し始めている。掃除も洗濯も明日すればいいか、と増田も静かに笑った。

  (了)

2018.2.1
    雪夜(ゆきや)

 年明け早々から猛烈な寒波に覆われたネオン街は、予想外の人通りだった。
 九州東部の地方都市にはめずらしく、朝から大粒の雪が舞いつづけ、すれ違う酔客は誰もが肩をすぼめて歩いている。
 口ぐちから吐き出された白い息が鼻先にわだかまるような気がして、神崎芙由子(ふゆこ)は思わず立ち止まってしまった。まさか他人の酒臭さまでは臭ってこないが、自分も同じような息を吐いているのかと思うと、急に胸やけがして、マフラーの中に顔を埋めた。
 一次会の居酒屋で胃袋を満たし、二次会は薄い水割りで早々に切り上げた。そのまま三次会になだれ込む前に、芙由子はひとりはぐれて行きつけのバーに寄るつもりでいるのだった。
 内川純一と室井加奈子の新人スタッフ二人は、胸を悪くしたまま歩み始めた芙由子の後をふざけ合いながらついてきている。このまま自分ひとりがいなくなったとしても、あとはサブチーフの裕美(ゆみ)が上手に収めてくれるだろう。彼女らにとってみれば、歳の離れた上司と飲むより、むしろそのほうが楽にちがいない。
「ねえねえ、チーフぅ。次はどこ連れてってくれんすかぁ」
 ろれつも危うい内川に思わぬ力で袖を引かれ、芙由子は自分でも驚くほどの勢いで振り返った。マフラーの隙間から刺すような冷気が飛び込んでくる。
「あ、すみません……」つまんだ指を慌てて放した内川の酔眼は、緩んでいるとはいえ、淀んではいなかった。加奈子はといえば、顔半分を桃色に染めて内川のコートの裾をつかんだまま揺れている。
 べつに機嫌を損ねたわけではないのに、思わず大人げない態度をとってしまった自分の不寛容さが、芙由子は情けなかった。少しばかり体調がすぐれないとはいえ、今日まで頑張ってくれたスタッフとようやく夜の街に出てこられたというのに、われながらその態度はなかろうと思う。この子たちに悪意などないのはじゅうぶんにわかってる。あやまらなければならないのは自分の方だと、芙由子はマフラーの中に細い溜め息を吹き込んだ。
「ほらほらウッチー、チーフは疲れてんだから甘えないの。ねぇふゆこさん」
 芙由子のことを、上司とも友だちともとれる呼び方をして、裕美は「あんたもほら、ちゃんとしな」と加奈子の尻を叩いた。
「ふゆこさん」の「ん」の後にハートマークを付け足したような邪心のない裕美の声が、固まりかけた空気を瞬時に溶かしてゆく。まるで、出来のわるい姉をかばってくれる妹のようだ。そう思うと、納まりの悪かった芙由子の表情も和らいでいった。

 住空間をまとめあげるセンスはもとより、芙由子のデザインチームをそつなくまとめられるのは、裕美をおいて他にはいないと思う。ルール違反を承知で彼女をサブチーフに抜擢したのは、やはり間違いではなかったと芙由子は今さらながらに頼もしく思った。
 年末に行われたコンペのプレゼンは上々の出来だったと思う。既成概念にとらわれない照明配置と、なによりも、広くとった中庭を核として、各部屋を立体的につなぐ動線をコンセプトとした大規模住宅のプランには自信がある。
 クリスマスパーティも忘年会も返上し、文字通りチーム四人が一丸となってプレゼン資料の製作にあたった。内部の模型を内川にまかせ、インテリア、外観の3Dパースは加奈子に描いてもらったが、社内コンペ審査会に間に合わせられたのは、やはりそれらをまとめあげた裕美の功績に他ならないだろう。
 今回ばかりは、内川や加奈子に無理ばかりを押しつけてきたと芙由子は思う。なかなか自分の意図を汲んでくれぬじれったさに爆発したことも幾度かはあったが、それでも裕美をはじめ、この子たちはほんとうによくやってくれたと、芙由子は心の底から感謝しているのだった。

 打ち上げを兼ねた新年会が、思わぬ雪夜に重なってしまった。ビルの角々で足踏みをしていた着ぶくれの客引きたちが、ふらつく酔客に近づいてはまた離れてゆく。学習塾の帰りなのだろうか、ランドセルを背負った男の子が通りを隔てた歩道を足早に駆けていった。
 裕美たち三人といつの間にかはぐれて、芙由子は街はずれの路地を歩いていた。タクシーが列をなす大通りへの近道。その裏路地のはずれに行きつけのバーがある。
「チーフぅ」薄暗闇の奥からパンプスの靴音が追ってきた。「ふゆこさーん」名を呼ばれて振り返ると、息を弾ませながら駆け寄ってくる人影が街灯の中に現れた。
「どうしたの、裕美ちゃん。ウッチーと加奈ちゃんは?」
「どっちも酔っぱらっちゃってて」ふぅ、と手のひらを胸に当てて裕美は一呼吸し「無理やりタクシーに押し込んできちゃいました」と、舌先を出して肩をすぼめた。
「え、ふたり一緒に?」
「だってウッチーは煮え切らないし、加奈ちゃんのほうもまんざらでもないみたいなのに。だから、えいやぁって」息を弾ませながら屈託なく笑う裕美の赤い顔は悪戯っぽい。
「あなたも乱暴ねぇ。大丈夫?あの子たち」芙由子もいつのまにかつられて相好を崩している。
 社内の他のデザインチームで使い走りをさせられていた裕美を引き抜いたのは芙由子だ。ちょうど一年前に芙由子のチームに欠員ができ、芙由子自身も、ずいぶん前に行なった手術の経過検査を、当時の担当医から迫られていたこともあって、以前から目をつけていた裕美に急遽来てもらった。
 人事部長の決裁を強引に取り付けた芙由子とそのデザインチームとは、当然もめにもめたが、もともと裕美のセンスを見抜けなかったそのチームリーダーは、汚らしい捨てせりふと引き換えに裕美を手放したのだった。裕美からはそれ以来「ふゆこさん」と呼ばれている。
 今回のコンペの競合相手がそのデザインチームだった。審査会が終わるまで一番気を張りつめていたのは、芙由子よりむしろ裕美のほうだったのだろう。「しょうがないわねぇ」と、ほころんだ芙由子の表情に力が抜けたのか、裕美の笑い声はしばらく止まらなかった。

     *

 繁華街から二町ほど離れた街はずれ。サインも看板もないビルの二階にあるバー『Jストローク』のカウンターは、二、三の空席を残すだけで、ふたつのテーブル席はどちらも数人ずつの影で埋まっていた。BGMにダイアナ・クラールの官能的な歌声とピアノが静かに流れている。
「ふゆこさん、今日はどうしたんです?」
 カウンターに着くなりドライマティーニをオーダーした芙由子の顔を、裕美が覗きこんでいる。裕美のセーターからジャスミンのほのかな香りが漂った。
 グッズもファッションも、普段からマニッシュコーデの多い裕美からは想像もつかないが、コロンほどでもない微(かす)かな香りは女の身だしなみということだろうか。
 内川と加奈子には身体の不調を隠し通せたと思っていたが、やはり裕美は勘がいいのだろう。「なんでもないのよ」とグラスを揺らす芙由子の指先をしばらく見つめた後、裕美は、私にはそうはみえませんよ、とミモザを満たしたワイングラスに唇をつけた。なにかにつけ芙由子に気を配るその横顔はどこまでも柔らかい。しかし、そんな裕美にも、これまで芙由子は腹の底から心を開いたことはなかった。
 背後のテーブル席からに賑やかな笑い声が唐突に湧いた。グラスを磨いていたバーテンダーが、申し訳なさそうな眼差しを芙由子に向けて頭を下げると、気にしないで、とでもいうように、裕美が視界の隅で小さく首を振り返した。
「でも、あなたにはやっぱり不機嫌そうに見えたのね。私には、そんなつもりはまったくなかったんだけど」
「いえ、ウッチーも加奈ちゃんも、もちろん私もなんとも思ってなんかないんです。ただ今日のふゆこさん、なんとなく気になって、つい追いかけてきちゃいました」
「せっかくの新年会だったのに、なんだか急にテンション下げちゃって、悪かったわ」
「私のほうこそ、おひとりのところに押しかけたみたいで、すみません。たぶん年末の追い込みで疲れが溜まってるんですよ、ふゆこさん」
 裕美は半分ほどになったミモザを一気に飲み干して「っていうか、少し顔色悪くないですか」と眼をしばたかせた。
 正直なところ、下腹部にどんよりとした違和感があって、朝から気分がすぐれないのは事実だ。とうに忘れていた重苦しさが子宮の奥からせり上がってくるような気がして、思わず芙由子は目をつぶった。
「酷くはないんだけど、なんとなくお腹が……なんてね」強い酒に観念したように、芙由子の口から、強がりとも本音ともつかない愚痴がこぼれた。
「ええ?ちゃんと病院行きました?」
 無言で頭を振る芙由子に「ああそっか、病院に行く時間なんてなかったですもんね」と裕美は自分のことのように、空になったグラスに深い吐息を落した。
 もちろん健康診断は定期的に受けている。血圧は少し高いものの、それも正常高値の範囲で、他の検査結果にあやしいところはなにひとつない。
 体調不良、というより胸騒ぎに似た不定愁訴は、かならず毎年正月を挟むようにして訪れる。その原因がなんなのか、芙由子自身に思い当たるものはなかった。しいて言えば七年前の手術が尾を引いているということなのかもしれない。
「お陰様でプレゼンもうまくいったし。もしかして燃え尽き症候群ってやつかしら……」まさかね。そう裕美に嗤ってはみせたが、うまく表情を作りだせないまま、今頃になってまわってきた酔いに、芙由子の意識は徐々に薄れていった。

     *

 薄暗い路地の、街灯に照らしだされた輪っかの中に男の子が佇(たたず)んでいる。芙由子を追いかけて、裕美が現れたさっきの街灯だ。
 十時をとっくに過ぎているというのに、しかもこの寒さだというのに、半ズボンを履いて俯(うつむ)いている。そういえば『Jストローク』への途中で見かけた男の子に似ているような気がする。小学二年生くらいだろうか。雪夜にひとり寒々しく立ちすくんでいる子供を、芙由子は放っておくわけにはいかなかった。
「坊や」と声をかけるべきなのか「きみ」と呼べばいいのか、迷ってしまった。一人っ子の芙由子には甥も姪もいなければ、そもそもランドセルを背負って半ズボンを履くような年齢の子供に声をかけたことなど一度もない。
 怪しい大人に思われぬよう、なるべく柔和な表情を顔に貼りつけてゆっくり近づいて行く。そんなぎこちなさが、我ながらすでに怪しいと芙由子は思う。
「坊や」と優しげに呼ぶ自分を想像して可笑しくなりながら、男の子の前で膝を折ると、さっきの杞憂が嘘だったように自然に声が出ていた。
「どうしたの?ボク、お家はこの近く?」俯いたままの白く細い脚に鳥肌が立っている。
 見かねた芙由子は着ていたピーコートを脱ぎ、ランドセルの上から掛けてあげた。
いつからそこにいたのか、誰かを待ってでもいるのか、小さな肩に積もった雪が、オレンジ色の電球の下で煌めいている。
 おねえちゃんが、と言いかけて思いとどまった。この子からみれば、四十半ばの自分はどうみてもおばさんだろう。そう思うと力が抜け、こわばっていた作り笑いも自然に解けていった。
「おばちゃんがお家まで連れてってあげようか?」と話しかけても、返事はなかった。
「おばちゃん、怪しい人じゃないのよ。なんならおまわりさん呼んであげようか?それとも……」問いあぐねるうちに、男の子はか細い声でなにかを呟いた。芙由子をまっすぐ見上げる眼差しが痛々しい。涙でうるんだ小さな瞳の中に、眉を下げた芙由子の顔が映っていた。
母性本能、というものだろうか。他人(ひと)の子というのに、七年前に捨てたはずの感情が蘇るようで、押えられない愛おしさに芙由子の心は揺れた。あのとき、ようやく宿った命に、もしなにもなかったとしたら、ちょうどこのくらいの子供に育っていたのだろう。
「あの……ですか?」
「ん?ママ?ママが迎えに来てくれるの?」
「……」
「えーっとじゃあ、ボクのお名前は?名前はなんていうの?」
 矢継ぎ早な芙由子の問いかけに、激しくかぶりを振った男の子の頭から雪片がすべり落ちる。
「……名前は、しらないです」芙由子を見上げたまま薄い唇が微かに動いた。声が震えている。
「え?」
「ぼく、名前、つけてもらえなかったから」
「え?名前って……」あぁ、そんな……。男の子の両肩をつかんだまま、芙由子は膝からくずおれてしまった。

 七年前、諦めかけていた妊娠を喜ぶ間もなく、子宮筋腫合併妊娠と診断された。
 筋腫ができた位置も悪く、ましてや三十七歳だった芙由子に、帝王切開など危険すぎると告げられた。どれほど泣きついても出産は許されなかった。産んであげられなかった。それはしかし、この子にとっては言い訳にしかならないはずだった。同意書にサインしたのは、芙由子自身なのだから。
自分の命と引き換えにこの子を葬った。筋腫と一緒にこの子を掻き出した。七年経った今でも、そんな暗い罪悪感が澱(おり)となって芙由子の胸奥を蝕(むしば)み続けているのだった。

「ぼくの、おかあさん、ですか?」
 この寒い雪の夜に、凍えた路地に、芙由子の前に、あのとき産んであげられなかった我が子が、降りてきてくれたのだった。
「ええ……」わたしがあなたのお母さん、とは言えなかった。「ごめんなさい」のあとは、もう、声にはならなかった。
「よかった。やっぱりおかあさんだった」
 ようやくほころんだ小さな顔は、やはり芙由子の笑顔にどこか似ている。

 上にいるおじいさんがね、もうすぐぼくの七回きだから、おかあさんのところに行ってきなさいって。
 だからぼく、ずっとおかあさんのことをさがしてたよ。おかあさんを知りませんか、ぼくのおかあさん知りませんかって。
 でも、ぼくには名前がないから、おかあさんの顔も知らなかったから、なかなか見つけられなかった。
 おそくなってごめんなさい。
 それと、おかあさんに会えたらちゃんと言いなさいって。
 ぼくにはよくわからないけど、おかあさんにね、じぶんを苦しめなくていいんだよ、ありがとう、って言っておやりなさい。そう、おじいさんが言ったよ。
 だからね、だからおかあさん、ありがとう。

 芙由子は小さな頭を抱きかかえるように、胸の中に押しこんだ。
 ごめんなさい。ほんとうに、ごめんなさい……。
「おかあさん、おかあさん」
 抱きしめた細い身体が、芙由子の腕の中で雪になって消えてゆく。
「待って!待ってゆきや!あなたは、あなたの名前は、ゆきや!」
 ずっと思ってた。わたしの子はゆきやだって。ずっとずっとそう思ってた。忘れたことなんてなかった。だから、だからまたお空のおじいさんのところに帰ったら、ぼくの名前はゆきやだったよ、ぼくは神崎ゆきやだよって教えてあげて。そして、ありがとうございましたって、そう伝えて。

 いつのまにかまばらになった雪つぶが、脱ぎ捨てられたコートの上に降り積もっていた。
 聞き覚えのあるパンプスの靴音。芙由子の名を呼びながら駆け寄ってきた裕美の肩にも、雪は積もっている。
 ジャスミンの淡い香りに抱きかかえられながら、空から舞い降りてきてくれた我が子の話を、いつか裕美に聞いてもらおうと、静かに舞い落ちる夜の雪を、芙由子は見上げていた。

 (了)

2018.1.1
   浴場百景

 うちのボロマンションの共同温泉浴場は、午後四時開場で午後十時に鍵がかかる。土曜は三時開場。日曜は管理人さんがいないのでお休みだ。
 毎日夕方前なると、とっくにリタイヤして暇をもてあましている爺さまたちが早々に入浴している。同じような時刻にはラクテンチのアヒルのような婆さまの声がエントランスロビーまで洩れ聞こえてくる。たぶん女湯も同じようなことなのだろう。どうせなら妖艶な声のほうがありがたい。
 家庭の生活リズムによってそれぞれが入浴する時間帯もおおよそ定まっているようで、ワシが入る六時半過ぎには、立派なキン○マをぶら下げている「玉じい」、湯に浸かると必ず「はっあぁ」と往年のプロレスラー、サンダー杉山のような声を繰り返す「すぎやま社長」(社長かどうかは知らない)、脊髄に沿って背びれのような剛毛がはえている「半魚じい」(触ったことはないので剛毛かどうかは不明)、洗い場でのストレッチを欠かさない、筋肉もりもりの「もり夫さん」(素っ裸で身体をくねらせるのはやめてほしい)等々が入れ替わり立ち替わりに入ってくる。(※「」内は筆者が密かにつけたあだ名)

 年も押しせまった十二月の下旬、その日はさすがに五時半とあって、知らない爺さま二人しか入っておらず、湯船にゆったりつかって世間話なんぞをくっちゃべっていた。ワシはそんな胴間声のヨタ話しを聞くでも聞かぬでもなく、壁に掛かった看板をそれとなく読み始めた。(活字中毒だからね)そこには『入浴時の注意事項』の下に一般的禁忌症「急性疾患(特に熱のある場合)」と記してあり、次に、活動性の結核、重い心臓病、悪性腫瘍、と重苦しい病名が続く。更に、呼吸不全、腎不全、出血性疾患、重度の貧血、その他一般的に病勢進行中の疾患」をもつヒトは入浴してはいけない旨の薄汚れた文字が湯気の向こうにかすんで見える。
 そうか、悪性腫瘍のヒトは入浴禁止なのだな、ふぅ、セーフ。昨年末に切り取ったワシの腫瘍は医師お墨付きの良性だったのだ。よかった。が、そこで暇なワシはフト考えた。そこに書き連ねられたことはたしかにごもっともであろう。いくらなんでも活動性の結核を患ってるヒトは入浴してはなるまい。重い心臓病をお持ちの方も湯に当たっては大変だ。腎不全、出血性疾患の方々も、いくら身体にいい温泉とはいえ熱い湯は辛かろう。呼吸不全のヒトは入浴どころじゃないと思う。
 おっしゃるとおり、イチかバチかで命を賭してまで入浴してはなるまいとワシは強く激しく同意したのである。したのではあるが、それって、いらん世話じゃね?とも思うのだ。そういう疾病を抱えた方々が入浴して、もしなんかあって訴えられたときの責任回避のためなのだろうか。いやいや、わからぬでもない。なんだかんだと理不尽な言いがかりを振りかざすモンスターも最近では多いと聞く。ヤな世の中だ、まったく。
 しかし、思えば不肖ひげじいは、七年ほど前に出血性大腸憩室炎てなものを患って退院した後、浴室でぶっ倒れたのだったなぁ。もしかして、それは出血性疾患にド壷で当たるんじゃなかろうか。だとすれば、やっぱりワシみたいなバカじいもいるわけで、注意喚起のためにもこんな幼稚な注意書きは必要なのだろうなぁ、などと激しく納得し、反省しつつ洗髪洗顔洗玉の入浴作業一式をそそくさとやっつけ、無事忘年会会場までタクシーを駆ったのであった。
 そういえば、どっかの温泉には「極度の下痢症」なんてのもあったなぁ。んー、そういうヒトはなるべくご遠慮願いたいものである。

2017.12.1
    コントレール

 じゃあ公民館に十時な、と念を押すようにいって通話は切れた。

「なにそれ。今日はまぁ、たまたま空いてるからいいけど、ってゆうか、秋子叔母ちゃんの頼みなら仕方ないけど。女子にはいろいろ準備ってものがあんのよ。集合時間十時って、あと一時間しかないやんもう」
「だから、ごめん。朝になったら熱も下がるからってオフクロが言い張るもんやから。頼む、このとおりや」
 携帯から、じゃりっ、って音がした。寝起きのまま髭はまだ剃っていないのだろう。たぶん携帯を持ったまま頭をさげている。瞬ちゃんは昔からそういうヤツだ。
「で?叔父さんも一緒に寝込んじゃってる、と」
「うん。オレも、そんなの急に無理やって何度も断ったんやけど、夫婦そろってドタキャンは班長の吉田さんに迷惑がかかるからどうしてもって。お金も払ってるらしいし」本当に困ってそうな瞬ちゃんの声。しかも鼻声だ。風邪の引きかかりなのかもしれない。
「で、出もどりの私ならどうせ暇だろうからってことで、あんたと私がツアーの代役ってこと?」
「まぁ、そう言わんでよ諒ちゃん。んなこと頼めるんは諒ちゃんしかおらんのやけん」
 思わず口からでたイヤミをスルーする瞬ちゃんは、私より二つも下なのに、うんとおとなだ。
「ふーん、あんたんとこのスタッフ、えーと誰だっけ、ミチヨさん?その子はどうなんよ。私なんかよりその子に頼めばいいじゃん。つき合ってるんやろ?」
 ふいに瞬ちゃんの声が途切れた。握りしめたのか、携帯のギッって音が耳の入口で、鳴る。思わず自分の胸が啼いたのかとあせった。つい調子にのってしまった性格の悪い、私。いつからこんなくだらない女になっちゃったんだろ。
「……諒子、なんだよそれ」予想外の低い声が、私のあまのじゃくな胸に、沈殿してゆく。
 初めて瞬ちゃんからこんなふに呼び捨てにされたのはいつだったか。うれしいような、面映(おもは)ゆいこの感じ。
 結婚生活に疲れ果て、慣れない深酒に溜め息を吐いた夜だったかもしれない。電柱にしがみついた私の肩をたたいて「ほらほら、結婚がすべてじゃないやろ。見てみ」と瞬ちゃんは漆黒の夜空を見上げた。「たかがあのでっけえ空の下でおきたできごとの、たったひとつに過ぎんやんか。な、諒子」そんな感じだったと思う。

 日曜日の朝早々に、枕元で震えるiPhonに起こされた。寝ぼけ眼の画面に『井川瞬』の文字がにじんでいる。
 町内会の『国東のお寺を巡る・日帰りバスツアー』に夫婦で申し込んでいた瞬ちゃんの両親の風邪が朝になっても治りきれず、その交代要員として瞬ちゃんと私に白羽の矢が立った、ということらしい。
 瞬ちゃんのお母さんと私の母が姉妹で、だから、瞬ちゃんと私とは従弟(いとこ)で幼馴染ということになる。三十六にもなって『瞬ちゃん』はなかろうと思うけれど、もの心がついてからずっとそう呼んできたし、一緒に通った幼稚園も小学校も、中学生のときも高校も、あのころから何十年も経った今でも『瞬ちゃん』は『瞬ちゃん』なのだからしょうがない。
 瞬ちゃんの勤めるデザイン事務所の新人スタッフと瞬ちゃんがいい仲だ、というのはずいぶん前に母から聞いていた。それはたぶん、瞬ちゃんのお母さん、秋子叔母ちゃんからの情報だ。さすがスピーカー姉妹。血は争えない。「なんかさぁ、頭よくってきれいな子らしいよぅ、瞬ちゃんの彼女」何か月か前の夕食時、母は私の箸の動きを目で追いながら上目づかいでそう言ったのだった。そのとき私はなんて応えたんだろう。お新香をつまんだまま一瞬固まったのだったろうか、聞こえないふりをしたろうか。いや、思いっきり睨み返したのかもしれない。私の底意地の悪さは母譲りなんだ、きっと。そんな自分を、私は今でも嫌いでしょうがない。
「……あいつとは別れた」瞬ちゃんの低い声は、さらに私の胸をしめつける。
「え?」
「だから、ミチコとは別れたんや。諒ちゃんには、関係ないやろ」
「……ああ、ミチコさん、っていうんだ、その人」私の声は言葉にならないまま、ぬめっとした澱(おり)となって、またひとつ胸の奥に積み重なる。
 別れた人の名を呼び捨てにする瞬ちゃんに、私は少なからず生々しいショックを受けた。今度は私の方が黙ってしまう。
「ご、ごめん……」これは、かすかに声になった。素直に謝ればいいのに、わかっているのに、私にはそれができない。ごめんなさい、を携帯のマイクに託している、情けない私。
「いいよもう、終わったことだし。で、どうする?ツアーの代役。一緒に行ってくれるとマジ助かるんやけど」
 気まずさのすき間を庇(かば)うように、瞬ちゃんは皮肉をちょっとだけこめた笑い声でそう言った。よかった、私のわずかばかりの素直は瞬ちゃんに届いていた。でも、私には、瞬ちゃんのその清々しさが、少しつらい。もう少し叱ってほしい。もう少しかまってほしい。もうちょっとだけ、私の真正面に向いて。
「そういうことやけん。な、頼む諒ちゃん」
 通話を終えた携帯画面は、08:57が08:58にちょうど変わったところだった。集合時間まであと一時間しかない。即行でシャワーをあび、髪をブローしながら、なに着て行こう、などと考える。鼻歌なんか唄って、なんか華やいでる?私。
 洗面室と部屋をばたばたと行き来しながら、「ん?」と、ふと気づく。ちょっと待てよ。よく考えたら、まわりは近所のおじちゃんおばちゃんばかりなのだし。もうその辺の服着て行けばいいんじゃない?。そうだそうだ、と得心して力が抜けたところで09:46になった。でも、瞬ちゃん同行だし。ああ、どうする私。
 集合場所の公民館までは私の足で歩いても十分とかからない。
 結局、履き古しのスキニ―デニムに臙脂色のスリッポン、白いTシャツの上にチャコールのカーディガンって鉄板コーデで無難にまとめた。ついでにと、リネンストールを手にとる。別れた夫から昔もらった臙脂のストール。靴に合わせて、と思ったけど、やめた。
 公民館の駐車場にはすでに大手町町内会御一行様と書かれたマイクロバスが停まっていた。昇降口の前にパッツパツの制服を着たガイドさんと瞬ちゃんが足踏みしながら待っていた。車窓の白髪たちがいっせいに「諒ちゃーん、早よ来んねぇ」と手を振っている。秋子叔母ちゃんとうちの母を勘違いしているのだろうか「お母ちゃんの具合はどーお?」と、両手をメガホンにして叫んでいるおばあちゃんもいる。
 車内は、湿布薬の匂いを除けば、まるで修学旅行のような賑やかさだった。
「年寄りはすぐ酔うけんね、はいはい、若いもんは後ろに座って」両側の席から急かされて、三十四歳と三十六歳の「若者」の瞬ちゃんと私は一列全部が空席の最後部に思わず「よっこらしょ」と座る。前席のおばちゃんが振り向いて、にっ、と笑った。

 マイクロバスは別府を抜け、日出町から杵築を通って国東半島八面山を登り、文殊仙寺、両子寺、長安寺、国宝富貴寺、真木大堂と、国東六郷満山霊場と呼ばれる有名どころの寺院を巡りながら下りて行った。ガイドさんの、ついでに熊野磨崖仏にも寄ってみますかぁ、との問いに「いやぁ、もう足が無理じゃ」「あんなとこまで登りきらんわ」と、おじちゃんたちから異口同音に却下された。
 瞬ちゃんはどうか知らないけど、私は、どのお寺も、女友だちや元彼と一度は行ったことのある古刹だった。
 お昼は富貴寺に隣接する『旅庵 蕗薹(ふきのとう)』で摂った。私は和風御膳、瞬ちゃんはおもてなし御膳にした。鹿児島は枕崎の鰹節からとったという出汁に豊後高田のお蕎麦の香りが絶妙で、どちらともなく「おいしいねぇ」と思わず笑いあったほどだ。
「来てよかったな」
「うん」――よかった。瞬ちゃん、今朝は、ごめんね。
 声にならない声が湯気となって、とじかけていた私の心の奥底の、積もり固まったわだかまりを徐々に溶かしてゆく。溶け清められた澱たちが、そうやってさらさらと瞬ちゃんの胸の奥に向かって、流れてゆく。
 給食を食べきれなくてひとり教室に残されたとき、いじめられて校舎の裏で泣いたとき、好きだった男の子にふられて落ち込んだとき、そして、子供が産めない身体だと知った義母からの陰湿な誹(そし)りに傷ついてこの街に逃げ帰ったとき。思えば、涙がこぼれそうになったときに、私のそばにはいつも瞬ちゃんがいた。今でもそう。どうしてだかわからないけれど、泣きそうになっている私の前に瞬ちゃんがいる。

 コース最後の真木大堂の阿弥陀如来坐像やすごい形相(ぎょうそう)の大威徳明王像に圧倒されて外に出ると、朝から薄曇りだった空に、雲ひとつない青空が拡がっていた。大堂の高潔を纏(まと)って降りてきた風が、私と瞬ちゃん間に、かすかな金木犀の花の香りを漂わせている。
「どうした。もしかして泣いてる?」
「うん」」いつのまにか、私泣きそうになっていた。
「さっきからおまえ、うん、ばっかりやな」おまえ、なんか呼ばんでよ瞬ちゃん。
 涙がこぼれ落ちないようにと見上げた真冬の青空を切り裂いて、飛行機雲が伸びてゆく。真っ青の空に音もなく白い一筋の線が、ゆっくりと伸びてゆく。
「ほら、綺麗やなぁ。コントレールっていうんや、飛行機雲のこと」
 瞬ちゃんが手庇の眼を空に投げて言う。
 一直線に伸びた白い雲が、私と瞬ちゃんの間に降ってきそうな気がして、私は思わず目をつぶる。持ち堪えられなくなった涙がまつ毛の隙間からこぼれ落ちそうになる。
 白い筋は、切り裂いているんじゃなくて、離ればなれだった空を縫い合わせながら進んでいるのかもしれない。そう思うと、私の涙は止まらなくなってしまった。

  (了)

2017.11.1
    ばあちゃんの乳バンド


 まずは椎茸だ。硬くてカチンカチンの干し椎茸は前の日から水に浸して冷蔵庫(!)で戻しておく。常温の水で戻すと、せっかくの風味を損ねてしまうんだ。それと、この戻し汁は捨てないこと。あとでちゃんと使うからね。
 こんにゃくはスプーンでくり抜く。包丁で切ってもいいんだけど、それじゃあ見た目も味気ないし、スプーンだと断面積が大きくなって味が染みこみやすくなるからね。もちろん、こんにゃく特有の臭みを取っておくために、塩もみしてから下茹でしておくのも忘れずに。
 えーっとそれから、ごぼうだな。ごぼうの皮は包丁の背でこそぎ落すのが一般的だけど、くしゃくしゃにして広げたアルミホイルで軽くこする。ぼく的にはピーラーなんかで皮むきするのはやめてほしいところだ。これを一口大の乱切りにして水にさらしておく。
 れんこんは八ミリくらいの厚さに切って、穴に沿うように花型に皮をむいて薄めの酢水に浸しておく。このほうがなんとなくこなれてる感があるっていうか、手ぇかけてるっぽく見えるしね。人参も皮をむいて(これはピーラーでいいか)ごぼうと同じように乱切りにしておく。
 下ごしらえはなかなか面倒だけど、ここで手を抜くと美味い筑前煮はできないからね。やっとかなきゃならないことはまだまだあるぞ。
 里芋の皮むきは、よく泥を落とした後、上下を切り落として厚めに皮をむく。ぬめりがあってすべりやすいから要注意だ。むき方は六方むきでもいいんだけど、あんまりプロっぽくやりすぎてもヤらしいから、ここはざっくりとおおらかにむいて。それから、鶏のもも肉は人参と同じように乱切りに。市販のやつでもいいから筍(たけのこ)の水煮なんかもあると嬉しいかな。あとは、最後に彩りとして添える絹さやをゆでておけば筑前煮の下ごしらえは万全だ。あ、そうそう、前後しちゃったけど、こんにゃくを下ゆでするのは、この絹さやの茹で汁を使うといいって教わったんだ。何故だかはわからないけど、訊きそびれてしまった……。

  ***

  昭和十二年の生まれ、と聞いていたから、生きていれば今年でちょうど八十歳、ということになるのだろうか。
 豪胆で磊落(らいらく)だった一子(いちこ)ばあちゃんの顔が、声が、この頃ふとした拍子に思い浮かんだりするのは、ぼくの心が、今でも一子ばあちゃんとのかけがえのない日々に、ずっと寄り添っているからなんだろう。
 不慮の事故で両親を亡くし、おぼろげな昔話になってしまった、ぼくとばあちゃんとの、短くて濃かった二年と三か月の日々が、今ごろになって思い出される。
 その当時は、その一日いちにちが、ぼくにとってこんなにもすてきな時間だったなんて、ちっとも気づかなかった。ぼくは一子ばあちゃんに、ただの一度も、ありがとうって、言わなかったんだ。

 残暑とはいえ、いつまでもぐずぐずと蒸し暑い九月も下旬の、桐箱に納められた骨壺の余熱が、まだ両膝の上に心なしかわだかまっている夕まぐれだった。
 父ちゃんか母ちゃんか、誰が植えたものなのか、それとも、もとからこの庭にあったものなのか、ブロック塀の片隅にぽつんと植えられた、か細いヒメシャラの枝に、散り遅れた白い花びらが申し訳なさそうにちぢかまっていた。
 町内会の副区長、阿部のおばちゃんと、三、四人の世話役さん、それからあとは、ぼくとばあちゃんの、わずかばかりで執り行われた葬儀も終わってお坊さんも帰り、しんとした八帖の続き間に線香の祈り香がまだ薄く漂っていた。
 当時はまだ矍鑠(かくしゃく)としていた一子ばあちゃんは「祐一、ちょっとおいで」と、まだロウソクの揺れる仏壇の前にぼくを座らせ、ぱんっ、と喪服の裾をはたいて正座したのだった。
「祐一、よーお聴き。三郎さんも敏子も、死んだもんはもう帰って来きやせん。そんなことは、あんたもよぅわかっちょるやろ。そりゃぁ二親をいっぺんに亡くした辛さもあろうが、高校生ちゅぅたらあんたももう立派な男や。ばあちゃんもずっとは生きちょられんけんな。こん先ひとりでどうやって生きて行くんか、よー考えんとよ。分かるやろ」
 キリッと目を据えたばあちゃんの一言ひとことが、汗の粒となってぼくの顎を伝い、ランニングシャツと胸のすきまを幾筋か流れていった。ぼくは、入れ歯にこもったばあちゃんの聴き取りにくい話には上の空で、その半分も聞いてはいなかった。それよりもなによりも、朝から続いた弔問客の対応で、昼食もほとんど摂れず腹ペコでしかたなかった。
 学校ではもうぼちぼち衣替えだというのに、母ちゃんが先週引出しから出したままのカッターシャツは、アイロンもかけられないまま、所在なさそうに広縁の鴨居に吊るされている。白いシャツと白いヒメシャラの花が視界の端っこで揺れていた。そこにだけ秋がきてるみたいやな、と、ぼくは頭も腹も空っぽのまま、ぼんやりとばあちゃんの声を聞いていた。
「そういうことで、今日からあんたのこん家に、ばあちゃんはご厄介になります。よろしゅうお頼、申します」
 いつからそうしていたのか、芝居がかった声色で、畳に両手を「ハ」の字にそろえたばあちゃんは、ほぼ全白髪の頭もろとも恭(うやうや)しく腰を折っている。
「は、はぁ、こちらこそです」我に返ってぼくも、畳に頭をこすりつけた。
「って、ばあちゃん、そりゃいいんやけど……」
 顔をあげたばあちゃんの表情は、もういつもの柔らかさをとりもどしている。
「あんたはなんも心配せんでいいんよ。掃除、洗濯、家んことは全部あたしがするけん。ひとり分もふたり分もするこたぁ同んなじじゃ。あんたは勉強だけしとりゃいいんよ」
「や、そうじゃなくて……、生活費とか、そんなんねぇし」
「ああ、そげんことはな、あんたが考えんでいい。お父ちゃんとお母ちゃんがな、ちゃんとあんたに残してくれちょるじゃろ。それをちぃーとずつ使かわしてもろうたらいい。あんたが働いて給料をもらえるようになるまではもつやろ」
「せ、生命保険とか、そんなん、あるん?」
「――まぁいい。あんたは心配せんでいいけん」
 一駅隣の街に棲んでいる一子ばあちゃんが、この家でぼくと一緒に暮らすことになる、ということは、お通夜の準備が始まったときに、阿部のおばちゃんからすでに聞いていた。ぼくにとっては是も非もないことなのに、ばあちゃんは「それでもいいかい?」と、母ちゃんの遺髪を納めた木箱をさすりながらつぶやいた。先に逝ったひとり娘に許しを請うたのか、ぼくに訊ねたのかは、わからなかった。

 正直言って、葬式の間もそのあとも、涙は流れなかった。流れていったのは、乾く間もなく噴き出てくる汗ばかりで、ぼくの分まで泣いてくれたのは、母ちゃんの同級生で親友だったという阿部のおばちゃんくらいだ。
 命には限りがあって、誰でも必ず死ぬ。幼いころに飼っていた犬も死んだ。カブトムシも金魚もハムスターも、事故で、病気で、寿命で、ぼくより先に死んでいった。死なんて特別なものなんかじゃなく、そのへんに当たり前にあるものだってことくらい子供のころから知っている。ただ、周りの大人たちと同じように、ぼくはそのことに気づかないふりをしていただけなんだ。だから、あのときのぼくには、両親を一度に亡くしたことに、大した悲しさも喪失感みたいなものもなく、いつかは訪れるであろうものが少し早まっただけなんだと、他人事(ひとごと)のように感じていたのだと思う。そう、ばあちゃんを喪うまでは。

「ということでや。ということであんた腹減ったやろ。夕飯はなんがいい?」と、ばあちゃんは真顔をくずした皺だらけの笑顔を台所のほうに首をまわした。
「なんか食べたいもんがありゃ作るよ」
「えーと、そやな……。ばあちゃん、葬式の日にかつ丼、とかでもいいんかな」
「かまわんかまわん。誰ぁーれも見ちょりゃせんよ。かつ丼でも、スパゲッチでもあんたが好きなもんを美味そうに食べよきゃ、あのふたりも喜ぶっちゅうもんじゃ」
 ぼくは、かつ丼の材料が冷蔵庫に入っていたかどうかもわからないまま思いつきで言ってしまったけれど、結局ばあちゃんは、二丁目の丸ちゃん食堂からうどんを取った。ぼくは地鶏うどん。「あたしゃ歯がたたんけん」といって、ばあちゃんは月見うどんにした。
 なぁ、祐一、あたしもいつどうなるかわからん歳やけんね。あんた、ひとりになっても困らんように、料理のひとつも覚えたらどうね。と、ばあちゃんはちゅるちゅると美味そうに、でもなんとなく寂しそうにうどんをすすったのだった。
 翌日からばあちゃんの料理講習が始まった。とはいうものの、ばあちゃんがぼくに教えてくれるのは、肉じゃがとか里芋のにっころがしとかの茶色系煮物料理ばかりで十七歳だったぼくにはパンチが足りないものばかりだった。しかもビジュアル的に地味だ。
「ばあちゃん、たまには豚の角煮とか、から揚げとか、ぼくそんなん食いたいわ」
「なにを言うちょるん。肉ばっかりじゃのうて、野菜も食べにゃいけんじゃろ」
「んじゃ、野菜入りのコロッケとか野菜たっぷり餃子とか、野菜カレーとか」
「そうやねぇ……よし、今日は、筑前煮じゃ」
 だいたいばあちゃんは、自分の都合の悪いことには聞こえない振りをする。そのくせ、いくら呟(つぶや)くような小声で言っても「くそばばあ」ってワードには即座に反応して、「なんか言うたね?」と、キッっとぼくを睨みつける。そうしてぼくはいつも観念して、台所のばあちゃんの横に立つのだった。
 あれから五年。お陰でぼくの料理のレパートリーはばあちゃん譲りの茶色系で、やっぱり地味だけど、中途半端に増えていった。
 それにしても、ばあちゃんから教わった筑前煮は、母ちゃんが作ってくれたやつよりだんぜん美味かった。婿養子だった父ちゃんは、ばあちゃん直伝のあの味を知ってたんだろうか、知らずに死んだのだとしたら、それは可哀そうなことだと思う。

  ***

 下ごしらえができたら、酒とみりん、それに砂糖と和風出汁の素を少々と、椎茸の戻し汁を加えて落し蓋をする。ばあちゃんの教えに逆らって、ぼくは落し蓋に、くしゃくしゃにしたアルミホイルを使っている。洗い物がひとつ減るしね。さて、このままで十分くらい煮る。火加減は中火。それから醤油を加え、さらに十分ほど煮込む。最後にまた少々の醤油を加えて混ぜ合わせたら火をとめる。最後の醤油は風味を出すためだからね。これもばあちゃんから教わった隠し技のひとつなんだ。
 よーし、調理はこれでおしまい。あとはじんわり冷ましながら味を染みこませる。二、三十分もすれば味がなじむから、器にきれいに盛って、最初に茹でていた絹さやを見栄えよく乗っけたら一子ばあちゃん直伝の筑前煮の完成だ。さてさて、味のほどは……。
 うん、しっかり戻した椎茸と、その戻し汁の旨味がそれぞれの食材に染みわたって、すごく深い味だ。こんにゃく特有の臭みもない。手間をかけ、丁寧に仕込んだだけあって、それぞれの食材がいい具合に調和している。そういえば、煮汁の蒸発のしかたは火加減に左右されてしまうから、なるべくお鍋からは離れないように、って、ばあちゃんが言ってたな。よく考えれば、ばあちゃんからは、大さじ何杯だの、小さじでどれだけだのって教わっていない。調味料は目分量っていうか、すべて勘なんだ。どこで聞き覚えたのか「あたしのカンピューターは大したもんじゃろ」って胸をそらすばあちゃんの勘は、やはり大したもんだと思う。

  ***

 ぼくとふたりだけの生活が始まって季節がひと廻りし、ヒメシャラの実も枯れ始めた冬の初めに、ばあちゃんは入院した。
「風邪じゃ、風邪。二、三日も寝ちょりゃぁ、よーなるけん」と、ばあちゃんは気弱そうに笑ったが、ほんとうの病名は、乳がんだった。それももうステージの末期まで進行していて、病院の先生から、なんとかしたい君の気持ちもわかるけど、皆本さんのご年齢を考えれば、手術も抗がん剤も体力的にもう無理なんだよ、と諭された。
 入院に際してなにをどうしたらいいのか途方に暮れるばかりのぼくに、「高校生のあんたにはまだわからんかもしれんけど、おばあちゃんはあんたのおばあちゃんである前に、ひとりの女やけんね。わたしにまかせときよ」そう言って、阿部のおばちゃんは入院の手続から洗面用具や着替え、他にぼくでは絶対にわからなかった紙おむつや下着類まで全部そろえてくれた。髪を梳かすブラシや、化粧水や乳液などがばあちゃんに必要だなんてぼくには思いもよらなかった。
 一人娘の真由美さんが遠くの大学に進んで、旦那さんと二人暮らしだった阿部のおばちゃんは、ぼくが学校からの帰りに病院に寄っても、休みの日に見舞っても、いつでもばあちゃんのそばにいてくれていた。
「阿部さん、家のことも、ご主人の世話もあるやろ?あたしのことはいいけん、早よう帰ってやらんと」
「いいんよぉおばあちゃん。あんひと、ウチが家におらんのをいいことに、パチンコ行ったり、こっそりスナックに行ったりしよるみたいで、最近いきいきしちょるんよ。まぁ、少しは悔しいけど、ウチもあんひとのしかめっ面を毎日見ちょるより、ここにきておばあちゃんとしゃべっちょる方が楽しいんよ」などと、ふたりで笑いあったりしていた。
 ぼくはぼくで、ばあちゃんの料理のレシピを聴き取ってはメモをし、帰って作ったものの味見を、おばちゃんとばあちゃんにしてもらったりしていた。だけど、ばあちゃんは新年を迎えるころには、その味見も受けつけなくなり、点滴チューブにつながれて日に日にやせ細っていった。
「誰に似たんかねぇ。敏子も不器用やったけど、あんたほどじゃなかったよ」と笑いながらも、これだけはちゃんと覚えときよ、と教えてくれたのが筑前煮だ。まだまだ他にもばあちゃんの料理をちゃんと覚えたかったけれど、それはもう叶わなかった。結局ぼくが完璧にマスターしたのは、ばあちゃんの笑顔にまだ彩があったころに教えてもらった筑前煮だけだった。

 一子ばあちゃんがあっけなくが死んだのは、就職先も決まり、ヒメシャラの芽も膨らんで、葉っぱの緑が鮮やかさを取り戻し始めた四月半ばの温かい早朝だった。
 葬式はあの日と同じように、近所の人たちと、新年度の区長に抜擢された阿部のおばちゃんが手伝ってくれた。
 梅の花が香リ始めるころにはもう、ぼくにも阿部のおばちゃんにも、覚悟みたいなものはできていたはずなのに、父ちゃんと母ちゃんが死んだときにも泣かなかったのに、ぼくは、泣いた。阿部のおばちゃんがぼくを羽交い絞めにして「祐ちゃん、祐ちゃん」と背中をさすり続けなければならないほど、ぼくは取り乱して泣いた。
 
「祐ちゃん、これも入れちゃってくれん?」
 棺に花束を入れた後、阿部のおばちゃんからそっと手渡されたのはデパートの包装紙で、きれいにラッピングされたものだった。
「なんなん、これ?」
「祐ちゃん、ごめんね。一子おばあちゃんとの約束で、あんたには内緒にしちょたんやけど、敏子ちゃんが亡くなるずっと前にね、一子おばあちゃん、一度乳がんで入院しちょったんよ。そんときにね、おばあちゃん、片方のお乳なくして、今回のはそれが再発したんよ。そうやけんね、これ、おばあちゃんに持たせてあげて」
 包装紙には『おばあちゃんへ 敏子』と書かれた熨斗紙が貼られている。
「たぶん、おばあちゃんの誕生日に敏子ちゃんが買ってあげたブラジャーなんよ。だいぶ前おばあちゃんに、敏子ちゃんからの贈り物なんよってなんぼ言うても、こん年寄りにそんな乳バンドは恥ずかしいわ、って絶対受け取らんかった。でも、天国に行って、おばあちゃんがこれ着けてなかったら、敏子ちゃんきっと悲しむけん。な、祐ちゃん、これ持たせてあげて、おばあちゃんも女なんやんよ」
 大切なものは、拒む理由を気遣うことではあるけれど、その理由の奥に潜む悲しさをすくい取ってあげることなのかもしれない。
 ぼくは、母ちゃんの最後のプレゼントになった包みを、胸に合わせたばあちゃんの両の手のうえに置いてあげた。

 もう、ずいぶん昔のことで、詳細は記憶にあやしい。一子ばあちゃんの声や笑うと皺だらけになる顔や、ちっちゃい背中の細かい形姿(なりかたち)がところどころあやふやだ。ましてや、ばあちゃんの胸のあたりがどうだったかなど覚えていないし、まさか意識して見た記憶もない。それでも唯一、一子ばあちゃんからちゃんと受け継いだ筑前煮の味だけは、今でも顕在だ。
 いつのことになるのかわからないけれど、ぼくの妻になる人にも、たぶんこの味は引き継がれてゆくのだろう、いや、ばあちゃんがいた証しとして引き継いでもらいたいとぼくは思っている。
「祐一、おまえひとりにしてしまって、すまんかったな」
「祐ちゃん、聞いてよもう。おばあちゃんね、こっちに来ても、乳バンドなんかあたしゃぁせんよ、って意地張ってるんよ。せっかくかわいいのを買ったのに、もう」
「祐一ぃ、ほらほら、てれぇーとしちょらんで、ちゃんと里芋の皮むかんね。筑前煮は下ごしらえが肝心やけんね」
 こうやって筑前煮を作っていると、空のずっとずっと上から、父ちゃんと母ちゃんと、そして、ぼくの大好きだった一子ばあちゃんの、そんなにぎやかな笑い声が聞こえてくるような気がする。

  (了)


2017.9.2
    スカイラウンジ

 再開発を終えた最寄り駅界隈は、清潔で都会的な、品田実千代の知らない街に様変わりしていた。
 駅頭にゆるい弧を描くロータリーがバス路線の乗り場になっているのか、クールビズ姿のサラリーマンや学生の夏服たちがそれぞれに携帯に指をかざしながら整然と並んでいる。
 まさか、またこの街に来るとは思わなかった。
 九月初頭の夕暮れ時とはいえ、耳奥にまでまとわりつく湿った空気が、本心のありどころを責めて実千代をイラつかせていた。
 二十五年前のあのとき、守るべきものと日々の安寧とを天秤にかけて家を飛び出したのは、やはり間違いだったのではないか。いや、やはり自分は正しかったはずだと実千代は頭を振った。井上マサキからのメールなど無視すればそれですむ話だった。しかし、それならなぜ自分は捨てたはずの街に降り立ち、今ここにいるのか。
 実千代は、タクシー待ちの最後尾に立ち、これまで幾度となく繰り返してきたそんな詮無い問いを吐き出すように、毒のような溜め息をついた。
 時間帯をめがけて各事業所から集結してくるのだろう。それほど待たぬうちにタクシーは実千代の横に停まった。
 駅前の国道を横切ってしばらく走ると、暮れなずむ夕影を背にして見覚えのある街並みが車窓の向こうに流れていった。実千代はその角々に、パジャマにコートを羽織っただけで走り惑う自分の姿を見たような気がしてならなかった。

 駅前の開発事業はこの地域にまで及ばなかったらしい。古くから建つデパートやレンガ造りの銀行は、少し煤けたようだが、堂々とした姿は健在だ。
 街を東西南北に分けていた中央通りの歩道橋は綺麗さっぱり撤去されていた。その北角の花時計があった場所に、白とグレーの高層ホテルがそびえていた。見上げた眼を、思わず握りしめた掌の甲に落としてみる。走り去る街灯の灯りと影の間に、蒼白い血管が浮いている。二十五年のうちに街が変わり、実千代もまたそれ相応に歳を重ねたのだった。
 路面から伝わるタイヤの振動が、シートに深く沈めた実千代の背中を心地よく刺激し続けている。閉じた瞼の裏にマサキと暮らした日々の残影がいくつも浮かびあがっては、はっきりとした像を結ばぬうちにまた消えていった。
 マサキとふたりで細々とやりくりしていた印刷店が破綻したのは、出版社からの大口受注を当て込んだ設備投資が原因のひとつだったが、マサキの人の好さと商才のなさが倒産を招いたのは間違いない。
 昼夜を問わず、日を追うごとに酒に溺れ、酔えば実千代に手を上げるマサキに嫌気がさして、まだ夜も明けきれぬこの道を実千代は逃げた。今こそ通り過ぎた曲がり角を、血相を変えたマサキが追ってくるのではないかと、振り向くたびに足がもつれた。雨が降っていた。絹を切り裂いたような雨だったと思う。
 シャッターをおろした真っ暗な商店街を抜け、コンビニの灯りの中に立って初めて、実千代は足を傷めているのが分かった。サンダル履きの親指の爪が割れ、泥にまみれた血が雨に流されたサンダルを真っ赤に染めあげていた。不思議と痛さは感じなかった。

 胸奥の不快さに薄目をあけると、タクシーは実千代の告げたとおり、タワーホテルのエントランスから一区画ほど離れた路肩に寄せるところだった。
「県立美術館なら反対の通りなんやけど、よけりゃぁ奥さん、そっちん方に回すかえ?」
 年老いt運転手の土くさい方言が癇に障ったが、「いえ、ここでいいの。そこの奥が実家なので」と、実千代はルームミラーの目線に微笑で応えた。
 たかだかワンメーター分の加算料金を渋ったと思われるのが癪で、つい言わでものつまらぬ嘘を返してしまった自分の、安っぽいプライドに、実千代はさらに胸を悪くした。
 なるほど、大通りを隔てたホテルの斜め前に、最近建てられたという美術館が瀟洒な姿でたたずんでいる。たしか世界的に著名な建築家が設計したのだと聞いたような気がするが、名前など覚えていない。
 後部ドアが開くと同時に湿気をおびた生ぬるい空気が顔に貼りついて、実千代は思わず息をとめた。
 四十七歳の独身女事業家とあれば、どこで誰が見ているかわからないし、今の実千代には味方もいれば敵も多い。いくら地方都市のホテルとはいえ、そこそこに人目を気にしなければならない己の立場を考えれば、エントランスの車寄せに直接タクシーを乗りつけるほど自分は無神経な女ではないと思う。そういう細かなことにも気を回せる年齢になったということかと、実千代は己の社会的立ち位置を誇りに思い、またその反面の不自由さを寂しくも感じた。
 眼の前にそびえるホテルの上層部は、薄青と茜の混じる夜空に吸い込まれて霞んでいる。視線をそのままジャガールクルトの腕時計に落とす。この時計を選んだのは、バブル崩壊の影響を受けて多額の負債をかかえこんだあげく、「いっしょに死んでくれんか」と迫ってきた夫を見返すため。成功した自分をマサキに見せつけるためだ。
 七時二十八分。最上階までの専用エレベーターに乗れば約束の時間には間にあうのはまちがいない。
 エントランスの自動ドアを抜けると、思わぬ冷風に揺れた髪が実千代の頬をかすめた。
 タワーホテル大分プレミアは、県の総合文化センターに連結された、いくつかの商業施設の中のホテルだ。その二十九階のスカイラウンジでマサキと待ち合わせをした。

 宵の口というのに、エレベーターホールに人影はなかった。
 クローズボタンを押して手摺に腰をあずけると、チャコールグレーのパンツにシンプルで白いブラウス姿の成熟した実千代のシルエットが窓ガラスの中に映った。四十七歳にしては若いとわれながらに思う。髪はラフに巻き上げ、ピンでまとめただけだ。腰をねじって背中をチェックする。ジャケットは置いてきて正解だった。
 ガラスに囲われたエレベーターの向こうに、深紅に染めかけた街影が思いもかけない速さで足下に拡がってゆく。耳にかかったおくれ毛をなおす間もなく、インジケーターランプはまるで時間を巻き戻すように最上階まで一気に駆け上がっていった。
 エレベーターを降りた正面。スカイラウンジの入口を中心にして馬蹄形に拡がるホールの空気はほどよく冷え乾いていた。右から左に大きくラウンドした連窓に添うようにして四人掛けのテーブルが整然と並べられている。大窓の向こうのなかぞらに、色を薄めて暮れなずむ市街地と、それを遠く囲うように林立する臨海プラントの無数の照明がまたたき始めていた。
 ほどよい暗さに調光された客席はそのほぼ半数が埋まっていた。どこからかかすかに流れてくるジャズピアノの旋律が心地いい。
 シャンパンだろうか。真っ白なテーブルクロスに落ちたスポットライトの輪の中で、黄金色の泡が煌めいている。
『――お伝えしたいことがあります』
 二週間前、携帯に突然届いたマサキからのにべもないメールに、なんの用事があるがあるのか、と最初は訝しみ、また憤(いきどお)りもした実千代だったが、考えてみれば、べつに借財の申し入れをしてくるわけでもない気弱な男に今さら目くじらを立てるのも大人げないと実千代は自分を諌めた。
 二十五年間の隔たりのうちに酒を絶ち、職も得てなんとか立ち直ったときくマサキを思えば、今はもう寂しさをまとっただけの元夫をことさらに卑しむ必要もなかろうと思う。実千代にも、元夫を斟酌できるほどのゆとりができたということなのだろうか。長の時間が真を虚に変えてゆく、そういうものなのかもしれない。
 メールには、予約を入れておく、と書かれていたが、見渡すテーブルにマサキらしい姿は見あたらなかった。
 視界の隅で、実千代に向き直った女が立ち上った。それほど長くはない髪を藍色のシュシュで束ねている。芯のある眼差しが実千代を見つめていた。
 女の視線に絡み取られるように実千代は歩み寄った。
「あの、実千代さん、でしょうか」
 実千代に深く頭を下げる若い女の顔に見覚えはなかった。
「神崎由子といいます。お呼び立てして申し訳ありません」
 実千代はとっさに記憶にあるだけの顧客の名をたぐってみたが、やはり神崎由子という名に心当たりはない。
「品田は私ですが、あなたは?それに、失礼ですけど、これはどういうことでしょう」
 突然湧いてきた不快さと警戒心が一緒くたになって実千代の言葉を硬くした。
 今年五十一になるはずのマサキの女にしては歳が離れすぎている。もしそうだとしても、マサキの女と逢わなければならない理由が、実千代には思いつかなかった。
「さっき、少し遅れるって純一さんから電話がありまして。ほんとにすみません」と、由子はもう一度頭をさげた。
「純ちゃん……」
 どうにか声にせずにすんだ息子の名に、息が止まった。落しそうになったハンドバッグの実千代の手が震えた。

 畳の隅で酔いつぶれたマサキの背中を横目に見ながら実千代は夜具を抜け出した。吐いた息が深夜の部屋に凍てついて、今にも純一の寝顔に降りかかるのではないかと気が気ではなかった。迷わなかったわけではない。ためらわなかったわけでもない。必ず迎えにくるから、と口にしたのは、幾度もうなされた悪夢の中だけだったのかもしれない。
 醒めることのない酒が、「いっしょに死んでくれ」とマサキの口に言わせたのだと思う。小心で子煩悩なマサキにそんな恐ろしいことなどできるはずはないとわかっていたし、信じてもいた。あの夜、実千代は鬼になった。
 金策に走り回り、債権者に追われる日々と、電気もつけられぬ生活に疲れ果ててしまったということが、三歳にも満たぬわが子を捨てていい理由になるまい。純一を忘れていたわけではない。忘れようとして忘れられることでもなかった。実千代は、わが子の名を二十五年もの間封印してきた自分を恨んだ。
「――おかあさん、大丈夫ですか」
 そう呼ばれて、実千代はきつく目を閉じていたことに気づいた。閉じた瞼の裏に、純一の眼が、純一の唇が、純一の幼い笑い顔が貼りついている。
 父親の携帯を使ってメールを送ってきたのは純一なのだろう。そうしなければならない事情があるということだ。マサキは病に伏しているのかもしれない。
 知らないですむことは知りたくなかった。実千代はあの日から今日までそうやって生きてきた。なにもかも捨てて生きてきた。
「来月、式を挙げることになったんです。純一さん、おかあさんにだけは知らせたいって、幸せな姿を見てもらいたいって。だから……」
 実千代をおかあさんと呼んでくれる見知らぬ女と、数えればもう二十八になるはずの息子に、おめでたい言葉などかけられるはずはない。ましてや、捨てた子と聡明な由子に婚姻の許しを請われる所以もない。鬼はどこまでも鬼でなければならなかった。言葉をつないではならなかった。
「お義父さんは先月亡くなったんです。肝臓を傷めた長い闘病でした。意識もないなかで、ずっとずっとおかあさんに謝っていました。ごめんなさい、純ちゃんもわたしも、さしでがましいのは承知のうえなんです。でもおかあさんは、やっぱ、おかあさんだから」
「実千代、ごめんなぁ、もう無理や、ごめんなぁ」酔えば口癖のように繰り返すマサキの声が蘇る。実千代はもう一度鬼にならねばならなかった。
「由子さん、でしたっけ?どんな魂胆か間違いかは知りませんけど、純一さんなんてわたし、そんな人は知らないのよ。ごめんなさいね、よかったらそのひとによろしく伝えといてくださいね」
 立ち上がった拍子に音を立てて椅子が倒れた。
「どう伝えるんです?純ちゃんに人違いだったって伝えればいいんですか」
 由子のうるんだ目が実千代の背中を追った。もう、なにも応えてはならなかった。
「また逃げるんですか」おかあさん、おかあさん。実千代を呼ぶ声がエレベーターホールにまで響いてくる。
 泣くことさえ忘れていた頬に、涙が伝った。
 純一を乗せたエレベーターが昇ってくる。鬼にも魔にもなれなかった実千代は、薄暗いホールに立ち尽くすしかなかった。

  (了)